韓国にて、1997年になると経済的に大きな危機が訪れることになる。それが所謂アジア通貨危機で韓国はウォンが大暴落し海外債務を返済するのにドルの保有高が不足になりimfからドルを借りることになる。その代わりに厳しい改革を行われなければいけなかった。この時に大手の企業の中では厳しい構造改革に迫られることになり、多くの設備関連中小企業は倒産に追い込まれた。私もその荒々しい波に飲み込まれ職を失われることになり新しい職を探しながらこの度日本へ行って日本語や技術を学んでみようかととても甘い思いをすることになった。
この時韓国で流行ったのがインターネット無料接続サービスで有った。一定の広告を観ればインターネットを無料で使える仕組みだった。インターネットはisdnを使っていたが使った分料金を払う仕組みだったので時々無料サービスを使ったりした。
1998年になると超高速インターネットサービスが始まりゲームマニアたちは嬉しい声を上げたけど個人的にはどうやってそんなに早いインターネットサービスが出来るか理解できなかった。ただ当時は超高速インターネットと言う言葉は流行ったし、韓国では経済再生の一環としてインターネットを国家成長戦略として国を挙げて推進することになったとニュースで聞いた覚えがある。そしてその年私は韓国を離れ日本へ行くことになった。
先に妻と生まれて間もない長男を日本へ行かせた。妻の故郷は田舎なので車が無いと身動きが取れないと知っていたので中古車を買う為にお金を持たせようとした。けれでもどれくらいのお金がいるか知らなかった。それでインターネットで妻の仏里を中心に検索してみると中古車の値段と販売場所が分かった。近い日本と言っても殆ど知らない国で、離れた場所うから情報が検索出来るなんてその凄さを身を持って実感した。