小学校5年生の教科書に次のような内容が載っているが一部紹介すると。

日帝は1937年に中国にて戦争を起こした。その後ウリナラ(我が国)人たちを武器工場で働く労働者や戦争軍人として強制動員された。さらに女性達は日本軍慰安婦として戦場に引っ張り出され塗炭の苦痛を受けた。と書いてあるし写真には戦争に動員された幼い生徒たちと注釈をつけている。
この文書を見て分かる様に韓国では日帝時代に対する歴史認識が非常に誤っている。まず、小学校の生徒たちはこの文書を理解できるか疑問に思うが”日帝”が何か、慰安婦て何か!理解できるとは思わない。故に、我が国の人たちを強制動員したと教えている。”我が国”って何を意味するのか?朝鮮は1910年に日韓合併により滅びた国である。よって朝鮮人は日本帝国の臣民になった。戦争により朝鮮人が動員されたとしても帝国日本は朝鮮半島にいる自国民を動員したことである。これは当時としても国際上何の問題ない統治行為であった。当時日本帝国がいくら強力な軍事国家で有っても主権が及ばぬ国家の人たちを強制動員することが出来ない。また、ありもしない我が国の人たちをどうやって強制動員できるか?

また、写真のイメージを持って幼い生徒達を戦場に送り込んだと教えているが当時報道された新聞記事を見ると事実はそうでもない。
日本帝国は1941年末、真珠湾を先制攻撃により太平洋戦争が始まるが、1942年8月にガダルカナル島戦いで大きな戦力を失ってからは攻勢から守勢に立たされることになる。194年になると敗戦が色濃くになり学生たちにも志願して(強制)戦場に行くようプレッシャーを掛ける。

この時に朝鮮半島にいた毎日新報 昭和19年(1944年)8月21日にはこんな記事が報道された。
毎日新報 昭和19年(1944年)3月21日

送ろう、我らの誇り 少年兵壮行大会。   若き胸から湧き上がる熱い祖国愛を抑えることが出来ず半島青少年たちは一足先に軍門へ入った兄貴たちの後を追い一斉に立ち上がった。少年飛行兵学校、戦車兵学校通信兵学校など陸海軍制少年兵をはじめとして、今年から新しく実施された特別幹部候補生へと大東亜10億の平和のために正義の剣を手に取り、殉忠の大道へと雄壮な出発をすることになった。皇国半島の輝く希望であり世紀の若い勇者である彼らの壮途を、我々銃後の国民はどんな言葉、どんな方法で祝福すべきであろうか。大日本青少年団では22日全国一斉に彼等の為に壮行会を開催することになり、これにより朝鮮総督府にても大野学務局長が各道に通達を出し、同日全鮮津々浦々で一斉に盛大な壮行会が開かれることになった。 この日、鮮内の重要な各都市を始め、小さい面及び邑に至るまで一か所ももれなく開催された壮行会には少年団員とその父兄また地方の各有志達が参席した。(彼らは)壮行会を行った後、少年兵志願者を押し立てて勇ましい街頭行進を行い、軍からは陸軍機が飛来して通信筒を投げるなど、(壮行)会は我らのあらゆる精誠を込めてもっとも燦爛に彩られた。