◆韓国の講和条約の修正要求項目がまとまる

同年(1951年)4月16日、 韓国政府は外務部(現・外交部)内に「対日講和会議準備委員会」を発足させました。
この「対日講和会議準備委員会」は、その後「外交委員会」と改称されますが、対日講和条約草案の検討作業と対応策の立案作業を行う組織です。
前述の兪鎮午の回想録「韓日会談が開かれるまで」によれば、その委員は、金俊淵(キム・ジュニョン)、崔斗善(チェ・ドゥソン、최두선)、裵廷鉉(ペ・ジョンヒョン、검색어)、兪鎮午などで、監事は洪璡基と李建鎬(イ・ゴノ、이건호)などであったそうです。
この委員会では、①日本および日本人(民間)の帰属財産に関する取り決め、②領土に関する条項に、韓国に帰属させる領土を盛りこむことに加え、③漁業ライン問題(具体的には、講和後のマッカーサーラインの継続)を、修正要求として盛り込むことを決めました。②の領土関連の要求で、波浪島の位置確認ができていないことも問題になりましたが、たとえ実存しなくてものせておいて害になることもないだろうとして、条約草案の第2条に盛り込まれていた済州島、巨文島、鬱陵島に、独島と波浪島を付け加える要求を出すこととしました。その意見書は、卞榮泰(ビョン・ヨンテ、변영태)外務長官が精密に検討し、直接英訳を担当することになったそうです。

また、この意見書作成の過程で、韓国を平和条約の署名国(調印国)とすることを要求するかどうかで論戦が起こったといいます。韓国を平和条約の署名国となるということは、韓国が国際的に対日戦争の戦勝国として認められたことを意味します。この戦勝国の立場になると、日本に対して戦勝賠償を要求できます。実は、韓国政府は、それ以前から、韓国が戦勝国となることを想定して、対日賠償要求について検討し、その要求内容をまとめる作業に着手していました。この戦勝国扱いをアメリカに要求することについて、これは純粋に外交的というよりは政治的な性格のものであり、平和条約草案についての部分的意見を述べる意見書に含ませるのはふさわしくないとの意見が出され、その要求を行うか否かは、李承晩大統領に一任することで決定したということです。

このような過程を経て、韓国政府としての講和条約案の修正要求内容がまとまり、林炳稷(イム・ビョンジク、임병직)国連大使は、同年4月26日付で、国務長官特別顧問のダレス(John Foster Dulles)宛に文書を送付しました。これが韓国としての最初の対日講和条約草案の最初の修正要求となりました。
この文書に盛り込まれた修正要求は、次の6項目でした。
① 韓国が連合国として処遇されること
② 在日韓国人が連合国の国民として処遇されること
③ 韓国が日本の残した財産を接収することが認められること
④ マッカーサーライン(SCAPIN-1033)の維持
⑤ 対馬が韓国領であることの確認
⑥ 日本の脅威に対する安全保障の確立