◆当時の韓国政府は、対日戦争の戦勝国になることを強く望んだ

まず、韓国政府①(韓国が連合国・戦勝国として認められること)をなぜ重視していたかを述べます。
韓国の指導層は、李承晩にしろ、その政敵の金九にしろ、光復後に帰国した人々です。光復後、すぐに米軍政に移行しますが、1948年の韓国の建国に至るまで、すさまじい権力闘争がありました。この権力闘争に勝ち残った人々の基盤は、大韓民国臨時政府の実績です。大韓民国臨時政府の実績とは日本の植民地支配に抗して、対日戦争を戦い、その勝利に貢献し、朝鮮に光復をもたらしたという名分です。
このため、韓国の憲法前文にあるように大韓民国臨時政府を継承した大韓民国は、連合国の一員であり、対日戦争の戦勝国であらねばならないと考えたわけです。このように、①は韓国の統治層の権力基盤に関わる問題でした。これが一つです。

もう一つは、戦争賠償です。国際法上、戦争賠償の請求権は、戦勝国の権利となっています。韓国が戦勝国かそうでないかは、この戦争賠償の請求権に関わってくるわけです。
当時の韓国の指導者は李承晩を含めて、「戦勝国である」と考えていたので、それを前提として、戦勝国・韓国としての戦争賠償要求をまとめる作業を開始していました。

韓国政府は1949年2月、「対日賠償審議会」を設置し、その賠償額・賠償内容の検討に着手しました。この審議を通じて、同年 3月15日に「対日賠償要求調書」第 1 巻を完成させました。その「対日賠償要求調書」第 1 巻には、総額約310 億円(終戦直後の為替率 1 ドルあたり 15 円で換算すると、約 20 億ドルに相当)の対日賠償要求額を計上しました。1965年の請求権協定により日本が支払ったのは有償・無償の8億ドル(民間の借款を含む)で、この総額は1965年当時の韓国の国家予算とほぼ同額と言われていますから、この賠償額の大きさがわかります。

韓国が連合国(戦勝国)として連合国と日本に認められるかどうかで、この20億ドルの戦争賠償の請求権が成立するか否かの大問題であったわけです。

--これらが、韓国政府が前述の①を最優先で重視した理由です。