◆韓国政府の対米直接交渉が始まる

さて、韓国政府はアメリカ政府(国務省)との直接交渉に入ります。
最初の米韓直接交渉は、1951年7月9日に、ワシントンのアメリカ国務省において行われました。この交渉の参加者は梁裕燦(ヤン・ユチャン、양유찬)駐米韓国大使です。そのカウンターパートナーは、国務長官顧問として、対日講和条約の草案策定を統括していたダレス(John Foster Dulles)でした。第2話と第3話で述べた通り、韓国政府の6項目の最初の条約草案の修正要求を盛った林炳稷(イム・ビョンジク、임병직)国連大使の同年4月16日付の書簡の宛先は、このダレスだったことを思い出していただけると幸いです。
なお、前述の「米英共同第2次講和条約草案」が韓国政府に示されたのは、この会談の席上でした。
以下の会談の内容を理解するために、4月16日付の韓国政府の要求項目を再掲します。

① 韓国が連合国として処遇されること
② 在日韓国人が連合国の国民として処遇されること
③ 韓国が日本の残した財産を接収することが認められること
④ マッカーサーライン(SCAPIN-1033)の維持
⑤ 対馬が韓国領であることの確認
⑥ 日本の脅威に対する安全保障の確立

この会談は、この要求項目に関するアメリカ政府の回答を聞くためのものでもありました。
この会談内容は、アメリカの公文書として残されています( “Foreign Realtions of the United States” 1951, Asia and the Pacific. Volume VI, Part 1, pp. 1182-1184. )。

◆アメリカの回答は「韓国は戦勝国(連合国)ではない」

さて、韓国政府の6項目の要求の「①韓国が連合国として処遇されること」です。
これについてのアメリカ政府の返答は、韓国政府にとって、たいへんショッキングな内容でした。

ダレスはまず、韓国(大韓民国臨時政府)が、1942年1月1日の連合国共同宣言(Declaration by the United Nations)の署名国でなかったことを理由に、連合国(対日戦争の戦勝国)ではないことを返答しました。ただし、対日講和条約において、韓国は連合国に準じた請求権その他の権利が保障される条項が盛り込まれることが告げられました。

上記のアメリカ公文書では、このことについて、次のように記されています。
Ambassador Dulles pointed out to the Korean ambassador that the ROK Government would not be a signatory to the treaty, since only those nations in a state of war with Japan and which were signatories of the United Nations Declaration of January 1942 would sign the treaty. He pointed out, however, that Korea would benefit from all of the general provisions of the treaty equally with other nations.

これは韓国が対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)の調印国にはなれないことも意味します。また、韓国にとっては、戦勝国としての約20万ドルの対日戦争賠償要求を準備してきただけに、根本的な方針転換を迫るものでした。韓国政府が最もショッキングだったのは、戦時下の韓国(大韓民国臨時政府)が、国家として、あるいは対日交戦国として認められないことでした。これは韓国の憲法前文でうたった韓国の正当性(法統の系譜)が認められないことを意味します。

この返答に対して梁裕燦大使は、反論を行いました。

その内容も前述のアメリカの公文書に記されています。
Ambassador Yang expressed his surprise that ROK would not be included as a signatory, and protested that the Korean Provisional Government had, in fact, been in a state of war with Japan even for many years prior to World War II. He stressed that there had been a Korean division in China which had fought against the Japanese and that a declaration of war against Japan had been made by the Korean Provisional Government. The Korean ambassador therefore, considered on this basis that Korea should be a signatory. Mr. Frearey pointed out that the Unites States Government had never given recognition to the Korean Provisional Government.

このように、梁裕燦大使は相当に強い反論を行ったようですが、この決定はすでに主要連合国の決定となっていたこともあり、ダレスは梁大使の主張を受け入れることはありませんでした。ダレスは梁大使の要求を再度拒否するとともに、講和会議へのオブザーバー資格での参加も拒否、「非公式に代表を送るのであれば宿泊や会場入場等の便宜をはかる」と回答しました。