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実は、1949 年12 月 29 日の条約草案(国務省内案)で、韓国が締結国のリストに新たに加えられたことがありました。これは当時の韓国政府は知らないことですが、後のアメリカの情報公開で明らかになりました。この時期、ムチオ(John Joseph Muccio)駐韓アメリカ公使が韓国の連合国加盟に賛同し、韓国の参加をアメリカ国務省に要請したこともあり、韓国政府には連合国参加に関するそれなりの確信はあったようです。アメリカも韓国の連合国入りには寛容であったようです。

転機は、1951年5月の米英協議等でした。ここで、イギリスは、大韓民国臨時政府を承認した国も存在せず、また他の亡命政府のような「大韓民国臨時政府」の指揮下にある軍も存在しなかったことを理由に、韓国の連合国加盟に反対を表明しました。アメリカも大韓民国臨時政府を承認したことがないことから、アメリカの方針が変更されました。

これについて、日本の反対が強く働いたとの韓国側の主張を見かけることがありますが、それは間違いです。
日本政府は、アメリカから韓国の連合国入りに関する意見を求められた際、いったんはこれに反対しましたが、後に「追加覚書において在日朝鮮人が連合国人としての地位を獲得しないこと」を条件に署名反対に固執しないとしたとした返答を行っているので、この件に関しては、イギリスなどの意向が反映された変更とみられます。

◆ダレス、韓国の対馬要求を拒否

次に「⑤ 対馬が韓国領であることの確認 」です。
梁大使は、この7月19日の会談において、対馬を韓国領とする条項(日本が対馬の領有権を放棄する条項)の追加を求めましたが、ダレスは、これを拒否しました。

前述のアメリカの公文書に記された、その記述は以下の通りです。
The Korean Ambassador then asked whether the Islands of Tsushima was to given to Korea under the terms of the treaty, stating that Tsushima properly belonged to Korea. Ambassador Dulles took exception to this statement and pointed out that Japan had been in full control of Tsushima for a very long period of time; the treaty therefore did not affect the present status of Tsushima as a minor Japanese island.

この会談では、米韓双方とも、独島および波浪島の領有権の問題は取り上げなかったようです。

◆マッカーサーラインの継続は認められない

もう一つの主要テーマが「④ マッカーサーライン(SCAPIN-1033)の維持 」です。これについてのアメリカ政府の返答は、韓国政府の期待に反するものでした。

梁大使は、韓国に近い水域における日本漁船による漁業を管理すること(実質的には排除すること)は、韓国経済に不可欠なものであると力説しましたが、ダレス大使は「対日講和条約には、韓国に限らず調印国(連合国)が特定の海域での漁業を支配する条項は含まれておらず、条項にそのような条項を含めることは許されない」と述べました。

ダレスはそのうえで、条約案には、日本との二国間または多国間漁業協定の交渉のための条項を含んでいるので、講和条約発効後に日韓で話し合うことを進めた。

このテーマで、韓国政府にとって、もう一つショッキングだったのは、アメリカ政府が韓国のマッカーサーライン(SCAPIN-1033)の誤解釈と、日本漁船に対する韓国政府の措置を改めて非難したことでした。韓国政府は、マッカーサーライン(SCAPIN-1033)を日韓両国の主権(領海)の境界ととらえ、後の李承晩ラインのように、この境界を超える日本漁船の拿捕・銃撃を繰り返し、これを再三にわたり、アメリカから警告を受けてきた経緯がありました。これについては、第5話で詳しく述べたいと思います。