◆韓国政府とアメリカ政府の間で、独島の領有権をめぐる対立が発生する

韓国政府も独島の事件について、1952 年10月17日と11月10日の2度にわたり、アメリカ政府に対して正式の抗議を行いました。11月10日の抗議の書簡には「韓国領の一部である独島……」という文言が含まれていました。

“The Ministry of Foreign affairs of the Republic of Korea presents its compliments to the Embassy of the United States of America and has the honor to refer to an incident caused by a U.S. Military plane、 on Dokdo Island(Liancourt Rocks) which is a part of the territory of the Republic of Korea. ”

これについて、駐韓アメリカ大使館は、同⽇付で、次の文言を含む返書を韓国政府に送達しています。
「 大使館は、外務部の通牒にある「独島(リアンクール岩)は…大韓民国の領土の一部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使に当てたディーン・ラスク国務次官補の 1951 年8月10 日付け通牒において述べられています。」
“The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry’s Note that “Dokdo Island(Liancourt Rocks)…is a part of the territory of the Republic of Korea”。 The United States Government’s understanding of the territorial status of this islands was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk’s note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10, 1951. ”

独島は日本領--これがアメリカ政府の認識ということです。

なお、この事件後、東京の駐日アメリカ大使館が動きます。アメリカ大使館は、極東司令部や海軍に対して、韓国から竹島渡航に関する再度の要請があった場合には、これに応じないように要請しました。これについて、駐日アメリカ大使館のスティーヴス(John M. Sreeves)一等書記官は、その顛末について、1952 年 10 月 3 日付で「リアンクール岩の韓国人」(Korean on Liancourt Rocks)と題する報告書を国務省に送付しています。

この報告書は、秘密指定解除されて公開され、2005 年ごろに韓国マスコミがアメリカが獨島を韓国領であると認識していた証拠として、大きく取り上げたことがあります。しかし、これは、スティーヴスの報告書であり、スティーヴスの理解です。
このスティーヴスの誤解は、11 月 5 日付の国務省からの駐韓アメリカ大使館宛の書簡で正されます。この書簡では、ラスク書簡の内容のほか、SCAPIN-677の失効を含めた説明が加えられ、独島は日本領であることを知らせました。

“The Korean claim, based on SCAPIN 677 of January 29, 1946, which suspended Japanese administration of various island areas, including Takeshima (Liancourt Rocks), did not preclude Japan from exercising sovereignty over this area permanently. A later SCAPIN, No. 1778 of September 16, 1947 designated the islets as a bombing range for the Far East Air Force and further provided that use of the range would be made only after notification through Japanese civil authorities to the inhabitants of the Oki Islands and certain ports on Western Honsu. ”
(韓国は、竹島(リアンクール岩)を含む様々な島嶼地域に対する日本の施政を停止した 1946 年 1 月 29 日のSCAPIN677 に基づいた権利の主張をしていますが、日本をこの地域における永続的な主権の行使から排除したものではありません。後続の SCAPIN である 1947 年 9 月 16 日付け第 1778 号は、同島を極東空軍の射爆場として指定し、さらに当該射爆場の使用は、日本の文民当局を通じて隠岐及び本州西部の住民に通告した後 にはじめて行われると規定しました。 )
https://en.wikisource.org/…/Confidential_Security_Informati…

実は、この件で、ライトナー( E.Allan Lighter, Jr)駐韓アメリカ大使も、本国の国務省に宛てて、独島が爆撃訓練場として使用されているいるのか否かと、独島の領有権の所在についての照会を行っていたのです。
先の韓国メディアの報道は、こうした一連のやり取りを無視した先走りでした。

この国務省の文書を受け取った駐韓アメリカ大使館は、韓国政府に対して、1952 年 12 月 4 日付で「ラスク書簡」を再通知し、独島が日本領であることを通告しました。
https://en.wikisource.org/…/American_Embassy’s_Note_Verbale…

これまで述べてきた事実経過は、韓国政府は触れられたくない部分になったようで、1955 年に韓国外交部が作成した「獨島問題概論」では、このラスク書簡に触れた部分を「etc.」で省略したアメリカ大使館の書簡を掲載したことが確認されています。
このため、韓国の国際法学者である金明基(キム・ミョンギ、김명기)は、この「獨島問題概論」を根拠として、アメリカ大使館の書簡によってアメリカの意思が「獨島は韓国の領土」と変更されたことから、ラスク書簡が無効であるとの主張を行ったことがあります。
これは隠蔽による情報操作といえます。