来日した当初、会社にある経済新聞を読んでいるとき、日本人が韓国へ投資して合弁会社を作ったけど後になって投資した日本人の名前が投機名簿から消えていたと注意を喚起する内容だった。こんな記事を何回か読んだことがあった。その時は学校で教わった通りわが民族は嘘をつく民族ではないのにと疑問に思った。でもその時は生活に精いっぱいで社会問題は関心を持つ余裕・暇なんかなかった。それから、忘れることもできないあの2015年の安倍総理の”日本は慰安婦を強制連行したことに対して資料を再検証したところ無かった”と言うニュースを見て頭にきた。だったら私がその証拠を探して見せると思って長い時間をかけて慰安婦関連資料を調べまくった。結果的に今まで慰安婦問題に対して持っていた認識が間違いだったことを自覚した。勿論当時の慰安婦だった人たちの環境や大変だった暮らしに対しては理解しても、根本的なな問題である強制連行とか性奴隷とかそんなことではなかった。もっといけない問題は人が良く勘違いをする歴史問題に対する間違えた認識を持つことであると思う。今の価値観で歴史を観ようとするから歪んだ歴史認識をしてしまう。それと資料を調べているうちに朝鮮史に触れることになり、自分が今まで学んだ歴史が間違ったことを知り強いショックを受けた。それからその反動かも知れないが書き込みの内容が強い韓国批判になっていた時期もあった。自分がもっと悪いのに人に対してお前悪い・悪いと言えるのかいと韓国に対して思うようになった。
知ってみれば、これも韓国のみんながそう言ってる・思っていることもないことを後で解かった。

去る9月26日は朝鮮人戦没者慰霊祭が行われて・その行事に参加できたことに大変意味のある一日で有ったと思っている。韓国でも見捨てられている彼らの存在を知り気が重くなっていたけどこれで少し気持ちは軽くなった気がする。
講演会には黒田福美先生の”それでも私は諦めない”という公演が行わられて、個人的には2回目だった。ある日突然夢に現わられ、そこから始まった黒田福美先生の韓国での石碑を立てる苦難の道のりや途中で韓国反日団体からの強い抵抗受けながらも朝鮮人特攻隊の供養を今まで続けられてきたその信念は私の頭では解るけど心情では理解できなかった。自国の歴史を知りあれ程強い怒りを爆発させ・非難してきた私にとって理解できないのが当然かも知れない。なのに日本人としてそれほど抵抗・反対を受けながらにして、私ならきっと頭にきて勝手にしろとやめたはず。しかし、それでも諦めなかったその精神力は強い信念だけで説明できない。そこにはきっと彼女なりの深い愛があったに違いないと思う。

日韓両国の人たちはお互いに様々な認識で隣国を見つめているが、何のきっかけのない乾燥した思いで見ていると反日だ・嫌韓だと走ってしまう。けど、何らかの思いがあれば少しでも愛情をもって見ようとする。確かに韓国の歴史教育は反日教育であり、社会の雰囲気も反日色が色濃い部分もあるのは事実である。だからで皆が反日かというとそうではない。社会雰囲気がそうであるから・周りがそうであるから日本が好きでも”好き”と言えない雰囲気である。この雰囲気をすこしづつ変えていくしかない。どうしても日本が嫌という反日者と、どうしても韓国が嫌という嫌韓派は除いて置き、日韓の心が通じる人たちが連携して和解ムードを広めていくのが大事であると思う。
勿論、時間がかかるけど!