北朝鮮咸鏡北道両江道恵山市の鴨緑江の川辺で、空腹に疲れた赤ん坊とお母さんの様子。 2011年11月の週刊朝鮮より

彼女が残した遺言、「17歳です。」

一昨日、青年芸術家たちの前で講義した最初の「例話」だ。
人民軍服務を13年間もした脱北者の証言だ。
軍服務13年間、休暇もなしに山奥の軍事基地で過ごした。
親が亡くなっても家に帰さない。
私がよく知っているチャン·チョルボンさんが端的な実例だ。
平壌に住む母が亡くなったが、家に帰さない
「なんでやねん!」と頭にきて境界線を越えて脱北したのだ。
山の中の軍部隊で人生の最も花はなしい時期を過ごした後
社会を知らず社会的馬鹿になる。
黄·ジャンヨプ労働党元秘書も、「北朝鮮人権蹂躙の代表的な事例が
軍事服務10年として人生を台無しにすることだ」と話した。

とにかくこのような軍人が除隊して初めての社会に出て汽車に乗ろうとサリウォン駅(北朝鮮)に行った。
あちこちに飢え死にし、死んでいく人々が散らばっていて衝撃だった。
その衝撃もあまりにも沢山見ると鈍くなっていく。
しかし、ある若い女性の遺体の前では足を止めざるを得なかった。
死んだと思ったんですが、「人民軍のおじさん!」って
自分を呼ぶ小さな声が聞こえてきた。
その若い女性に近寄ってどうしたと聞いてみたら
息を絞って最後の力を出し話す言葉は、
<私はもう死にそうですから、死ぬと体から虫(虱)が出てきて恥ずかしいので、駅前のゴミ捨て場に移しておいてください>と。
人が死ぬと冷たくなり、体にいたあらゆる虫が体の外に出てくる。
その様子が見苦しくて人々は唾を吐いたり、頭を振る姿を沢山目撃したので、自分の死体にもそうすることがとても嫌だったようだ。
死んだ人にも酒三杯と言うが、遺言のようなこの若い女性の願いを聞き入れるしかなかった。
若い女性を抱いてみると、どれだけ食べられなかったか、紙のように軽い。
駅前のゴミ捨て場に彼女を気を使って置いて帰ろうとしたが、どうも足元が離れない。
彼女に何か食べさせようとすると頭を振る。
食べ物を食べるほど気力がない状態だった。
彼女にいくつですかと尋ねた。すると、「17歳です」と。
石を食べても消化できるほどの青春であるにもかかわらず食べれず死んでいく。
そこから帰るときに色んな思い出頭がいっぱいになった。
死ねばそれきりなのに死ぬ瞬間までも虫(虱)が出てくるので恥ずかしいと言うほどの純粋な彼女がどうして飢え死になければならないのか···
こんな国をなぜ13年も守らなければならなかったのか?! 畜生!
自分も知らないうちに鬱憤がこみ上げてきて、そのまま脱北の道に進んだ。

1920年代のサリウォン(沙里院)通り

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