広く知られているように昭和22年から昭和40年にかけて日本の漁船327隻に漁民3911名が拿捕されその中で8名が亡くなる被害を受けたという。
勿論、この事件に関して当時韓国の行為は非難され当然だと思う。

ただ、この不幸な出来ことに対して当時日本の対応について考えてみたい。
李承晩ラインが敷かれたのは1952年、新生独立国家で何の防衛戦力を持たないまま北朝鮮から一方的に攻められ、もはや国が亡くなる寸前アメリカをメインとするUN軍の参戦により国土を回復し今の休戦線を挟んで戦争が膠着状態にあった時期である。

この時に日本は4月28日より主権を回復した主権国家に戻った。この時に日本の海洋警備能力がどれくらいだったか知らないけど、当時の韓国の方が当てにならんくらい低かったとおもう。

韓国による日本の漁船は昭和22年から始まって昭和27、28、29年に顕著に増えている。
ここで疑問に思うのが、すでに昭和22年から漁船が拿捕されているのに当時の日本政府は何をしていたの!である。
自国の国民が他国から被害を受けているのに何の措置を取らなかったのか!そういう状況を知らなかったのか!
今と違って当時は日韓国交が結ばれてない状態だから日本政府としては自国民の保護の為にも漁民に注意を喚起するなり被害防止対策を講じる必要があった同時に、被害を受けた国民についてはアメリカを通じて抗議する必要があったのではないかと思う。

この事件後、北朝鮮による日本人拉致が行われ多くの日本人が被害被った。この時も日本政府は北朝鮮による犯罪であることを公表せず躊躇したと聞いている。