ライター:堀芳康

日本から主体性がなくなったのは、73年前の占領憲法が可決された日からだろう。

公職追放は25万人。米国のやり方に異議を申し立てる人は、役人の座を追われた。

その萎縮効果ははかり知れなかった。占領統治における間接統治の原則は建前に過ぎず、その実質はGHQによる勝者の直接統治だったのだ。それが日本を物言わぬ国、主体性のない主張のない拝金国家にしてゆく。

数多くの弾圧があったが、初めてのものは昭和21年、外務省の萩原徹条約局長の弾圧のケースだろう。これを
南出喜久治著「かへるうぶすな」よりご紹介しよう。
マッカーサーが連合国はいかなる点においても、日本を平等にはみなさないと発表する。
それに対し萩原局長は下記のように反論した
「日本は国際法上、条件付終戦、せいぜい有条件降伏をしたのである。何でもかんでもマッカーサーのいうことを聞かなければならないという、そういう国としての無条件降伏をしたのではない。」

GHQはこれに激怒し、萩原局長の左遷を命じて強引に更迭した。反論は許されず、法的措置も許されなかった。こうして、役人は委縮し、言論統制により自由は奪われていったのだ。