ライター:堀芳康

戦前の人達と戦後の人達を分けているものは歴史教育だろう
教育の中で最も大切なのは歴史教育である事は間違いない。歴史教育の中で日本人としての民族の伝統や精神を学んでいくのだ。

その歴史教育の中に捏造が入った。それは東京裁判というでっちあげの裁判の中で作られた日本悪玉論、それに尾ひれがついて、「南京大虐殺」「バターン死の行進」「従軍慰安婦強制連行」等々だ。

戦後の人達は昭和史の真実を知らないが、それ以前明治の話はよく知っている。
それは司馬遼太郎の小説もだいぶ影響しているかも知れない。
しかし、この捏造の歴史を信じたら日本が悪者になってしまうのは確かで、ちょうど、アメリカに利用されて処刑されたフセインみたいな話ではないか。

イラクの事は詳しくは知らないが、クウェートがイラクから石油を盗んだのを、フセインが何回も警告を出して、とうとう戦争になったという経過を見れば、フセインは悪くない。
アメリカはイランを抑える為に散々フセインを利用して殺した。

さらに、イランはイスラエルのパレスティナ人の虐殺に対して批判的だった事が、発端になっていることがあるのであれば、イランも悪者なのかということがよくわからない。

しかし、日本の戦争は生きる為の戦争だった事は確かだった。
国家は国家を裁くことが出来ない原則を捻じ曲げた東京裁判は無効であるという宣言を国際的にしなければ、国内的にいくら言っていたとしても世界には通じない。

捏造の歴史は国民を迷わせる。もう懲り懲りなのですよ。