許修禎(ホ・スジョン):韓国の小説家
翻訳:崔榮黙(メディアトラジ管理者)
「日帝強占」という言葉を信念を持って使用する方々には、非常に申し訳ないが理解を得ながら。 世界にはさまざまな意見が存在するものであり,これはひとえにろくな弱虫にすぎない小生の意見にすぎない
ともあれ振り返ってみると、強占期という用語がいつから広く流布したのか正確には分からない。 70年代から80年代、そして90年代初めまでは「日帝時代」という用語が通用していたようだが、今はマスコミをはじめ教育現場にまで幅広く使われているというのだから非常に驚いた。 しかしそれが適切な用語の使用なのか、適応できない小生としては首をかしげるしかない。
そうではないだろうか。 強占とは辞書的意味から見ても他人の領土を強制的に、すなわち力で奪ったり占めることをいう。 もちろん李朝王朝、もっと詳しく言えば自分たちの王権を日本皇室に渡すことに反対した王族の立場からすれば、この用語は正しいかも知れない。 しかし、一般民衆からすると、もともと主権が王にあったので、李朝が日本に変わるのは、行き過ぎた表現なので申し訳ないが、「主権交代」でしかないのではなかろうか。
言い換えれば、高麗王朝に正統性を持っている人には、李朝500年の時代が「李朝強占期」に見えるのと同じ理屈だということだ。 しかし、今の誰も李朝500年を「李朝強占期」と呼んでいない。 やはり客観的な時代区分を念頭に置いたためと考えられる。
韓日併合以降、1945年8月15日までは日帝が統治した「日帝時代」と呼ぶのが当然だろう。 普遍的な時代区分ということだ。 そうしてこそ、広範囲なすべての階層に適切な用語になる。
もちろん韓日併合は現在、議論がなくはないが、当時両国が結んだ条約だ。 その先頭に立った朝鮮側の人々は、日本政府から「恩賜」も受けた。
簡単に言えば、羽振りよく生きてきたということだ。 そのため、後世の韓国人は乙巳保護勒約以来、併合条約に至るまで先頭に立っていた彼らを「乙巳五賊」「国を売り渡すなんて、売国奴ら」「親日」などと強く批判したのではないか。
そのような状況だが、「強占」という用語が当時の時代を適切に説明できるかどうか。 どうせ「強占」なら乙巳五賊、売国奴など騒いでも大きな意味はないはずだから。
そうじゃないか、「強占」といえばみんな生きるためにやむを得ずやったことになるのに。 結局「強占」は、彼らにも免罪符を与えてしまうことになる。
これは李氏朝鮮の王権に正当性を置いた人の立場からも決して望まないことだろう。
もう一つ、勇気を出して言えば、「日帝強占」という表現には内部の反省が見えなくて残念だという点だ。 当時の支配階級を正しく指摘するには、「多様な観点」と「立体的な知識」が必要であることは、言うまでもない。 ところが「強占」としてその時代を一方的に解釈してしまえば、なぜ李朝から日帝時代に移行するしかなかったのかに対する客観的かつ峻厳な視線が遮断される公算も大きくなる。
したがって、「強占」という用語は下手にすると李朝は素晴らしかったが、日帝が台無しにしてしまったという認識に変わったり、ある事案の前後左右を見ないという、極めて狭い見方で転化される危険さえ潜んでしまう。 この点を警戒するためにも、時代区分は普遍的な用語の方が妥当ではないだろうか。
加えて、「すべてが日本のせい」だ、という認識は被害意識だけを過剰生産させがちだ。 恥は恥ずかしさを締め付け、省察と洞察の眼目が、つい対岸の火事のようになってしまう危険も伴う。 さらに各個人たちを先験的認識が起こさせた憎悪の中に漂わせることもできるだろう。
社会気流が「日本のせい」という被害意識で飛び散ると、個々人も「すべてはあいつのせい」という二分法的思考力を優先してしまうからだ。
これには思慮深い他の意見が割り込む余地がない。 一例として、朝鮮総督府のような1900年代初めの貴重な建築遺産も、単に「日帝遺産」という名目で暴悪に破壊されても、反対世論が強く形成されなかった理由もそこにあったのだろう。
果たして、朝鮮総督府の建物が持つ当代の文化的価値が一瞬にして消えても大丈夫だったのか。 どう考えてもこれは激情が理性を超えていたとしか言いようがない.
歴史を見つめる視点は、普遍妥当であることはもとより、冷徹で冷静でなければならないと信じる。 そうしてこそ過去から教訓と自省を学び、自由な未来を洞察し、偏見と偏った眼目や行動を自制させることができる調和が共同体全体として生成されるだろう。 用語の選択一つが実はその出発点ということだ。
普遍妥当な見方には「理性」が行き来する。 一つの事案について前後左右を推し量って<考察>できる「能力」も当然生まれるものである。 それが21世紀という時代が個人に求める眼目ではないかと思う。