戦時中、端島(軍艦島)で暮らしていたという具然竽(グ・ヨンチョル)氏の回想録「神仏山」は、端島に住んだことがあれば誰もが知っているはずの地理的な誤りがあった。
「熊本は 海をはさみ端島からはっきり見渡せる場所であった」とある。だが、実は「絶対に見えない」のである。
グ・ヨンチョル氏は映像でも書籍でも「1939年に9歳で端島に来て、6年間住み、成績優秀で学校で級長だった」と話している。集会には来られない方にも事前に資料をお送りし、同級生や先輩後輩にも確認をしていただいた。会に参加された方も、参加できなかった方も、誰もグ・ヨンチョル氏の名前も顔も覚えておらず、その存在すら知らないという。
島内に小学校は一つしかなく、戦時中は1学年が1クラスで構成され、5、60名の生徒数がいた。先輩後輩も一緒に遊び、「たばこを1本吸う間に島内を1周できる」とも言われるほどの小さなコミュニティーである。六年間も端島で暮らし、級長までしているのに、元島民の誰も知らないというのは実に奇妙なことである。
加地英夫氏(「長崎端島会」会長)からご提供いただいた、明治27年から昭和22年までの端島小学校の卒業生リスト「端島校同窓会名簿」(昭和25年出版)も確認した。そこには、加地氏のお話に幾度も登場した郭山龍守さんの他、坪内氏が話す金、李、張さん等、朝鮮半島出身者と思われる名前がいくつもあった。しかし、どの学年の名簿にもグ・ヨンチョル氏の名前は見つからない。
その場にいた元島民たちがとうとう口にした。「このグ・ヨンチョルさんは本当に端島に住んでいたんだろうか」「なりすましではないのか」

【軍艦島】グ・ヨンチョルとは何者なのか

ライター:高橋靖朗