日本も町興しの為に結構苦労しとるとの話を聴くけど、写真の左へ行くと旧道路で右側は新しく作った道路でそのまんま沿って行くと隣の村を経て街へ行くように繋がっている。道路が作られたのは何年前から知ってたけど、昨日妹から聞いた話としては、もともと海岸道路を作る時に既にあった道路を整備する程度するつもりであったと言う。しかし、そうなると隣の村は孤立してしまうのでその村の人達が猛反発して今の様に村を通って行けるようにしたと言う。行政上、故郷が1洞で隣の村が2洞である。大分前は旧道路を通じて行き来した。新しく作った道路の方は道が無く険しい細道があってその道は海遊びまたは海産物を採取する時に使われていた。それが、海岸に沿って新しい観光道路を整備する際、細くて険しいところに新しい道路を作るには多少の工事費用が投じられたと思う。兎に角、隣の村人達の反発もあって道路が作られて沢山の観光客が通る様になり、隣の村の名物である大蟹とマッチィンクされ、隣の村は豊かになったと言う。この地域は朝鮮時代から大蟹が有名で王様に進上された事で広く知られている。この大蟹は以前は高くて誰でも食べられる物ではなかったけど経済的に豊かになってからは誰でも食べれる様になっている。特にこの隣の村は蟹漁が盛んな村である。

というのも、来日前、故郷が慶州に近い高校の友達から聴いた話が思い出して。
友達曰く、大分前京釜高速道路が建設される時に道路が友達の故郷を通るようになったと。それで友達のおじいさんが中心になって道路が通れんように猛反発したと。道路が開通されると村が観光客で煩くなるなどの理由で。結構高速道路は迂回する形で作られた。大分時が経ち高速道路が作られたむらは繁盛して行ったけど友達の村は貧しい村そのまんまに!
友達は当時、もし自分のおじいさんが反対さえせんかったら村の近くに休憩所なり観光地等が出来て村は豊かになったかも、、、と悔しんでいた。

その同じ”猛反発”でもその結果は雲泥の差であった。