二度と悲惨な戦争が起こらないように願いながら、共に二度とこのような韓国に対して謝罪の弁を述べないことを望みながら!
反省の概念が確立していない故に違った概念を持っている国に対していくら謝罪しても通用しないことが確認されたと思う。

以前、今の上皇天皇が述べられた”痛惜の念”の謝罪表明に対してニュースで報じられその意味を専門家が解説する番組を見た。専門家の解説によるとその意味は”ごめんね”くらいの軽い意味だといった。その時、知識も認識もそれほど持たなかった私はその解説を鵜呑みし憤りを感じた!反省もしない日本、悔しい!と。
痛惜の意味を見てみると、非常に悲しみ惜しむこと。

今も普通の国民のレベルはその程度で有ろう。
これはどの国で有れ意識して資料を読まない限り変わらんと思う。
(日本の戦争の謝罪表明と韓国に対して行った謝罪表明をまとめたネイバー資料から)
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過去史及び慰安婦関連日本の謝罪歴

椎名外務大臣(椎名悦三郎)
1965. 2. 20.
李東元と椎名共同声明。

李長官は過去、ある期間にわたって両国間にあった不幸な関係から起因する韓国国民の対日感情を説明。

○ 椎名外務大臣は、李長官の説明に留意し、そのような過去関係に対して遺憾の意を表明し、深く反省すると言及。
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中曽根首相
1983. 1. 11.
公式訪韓晩餐会の辞。

日韓両国間に残念ながら過去に不幸な歴史があったことは事実であり、われわれはこれを厳粛に受け入れなければならないと考える。
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中曽根首相
1984. 8. 4.
韓国ジャーナリスト訪日時の会見

過去においてご迷惑をおかけし、惨害を及ぼしたことについて深く反省し、再び起きることのないよう決議している。
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昭和天皇
1984. 9. 6.
全斗煥大統領の国賓訪問の契機晩餐会のあいさつ。

振り替えてみると、貴国と我が国とは一衣帯水の隣国であり、これまで様々な分野において密接な交流が行われてきた。 …(中略)… 長い歴史にわたって両国は深い隣関係にあったのだ。

○このような関係にもかかわらず今世紀の一時期に両国間に不幸な歴史があったことは心より遺憾であり、二度と繰り返されてはならないと思う。
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中曽根首相
1984. 9. 7.
全斗煥大統領の国賓訪問の契機昼食会。

○ 韓国が貴国にお世話になったことの多かった韓日交流史の中で、残念ながら今世紀の一時期に韓国が貴国及び帰国国民に対して多大な苦難を与えたという事実を否定できない。

本人は政府及び韓国国民がこの過ちに対して深い遺憾の意を反芻するとともに、将来このようなことがないように固く決意していることを表明したい。

日本政府及び日本国民は戦後このような過去の反省に立ち、誠意を持って新たな両国関係を構築するための努力をしてきた。 昨年の本人の帰国訪問も同じくこの反省に基づいたもので、日韓両国間で新しい時代の幕を開こうとする国民の希望に発して実行されたものである。
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竹下総理
1989. 3. 30.
衆議院の答弁

韓半島のすべての人々に対してもう一度過去に大きな損害を与えたことに対して深い反省と遺憾の意を表したい。
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宇野総理
1989.6月
衆議院の答弁

○日本は2次世界大戦当時、侵略者だったと信じていること。

日本の軍国主義が韓国など近隣諸国に苦痛を与えたことに対する責任があるため、日本はこれらの国が関係する困難な歴史について反省しなければならない。
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海部首相
1989.10月
衆議院の答弁

○過去の歴史に対する日本政府の基本認識は1965年日韓共同声明、1972年日中の共同声明で明らかにしたことと同じであり、そのような認識に変わりがないこと。

過去に日本が隣国に苦痛を与えた事実を深く自覚し、そのようなことを繰り返さないために戦後ずっと平和国家の道を歩んできた。
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中山外務大臣
1990.4.26.、衆議院での答弁/
1990.4.30.韓日外相会談

○第2次世界大戦は近隣諸国及び国民に重大な損害を与えた日本の軍国主義的侵略だったという認識を持っていること。

韓半島国民の心中にしこりがあれば、これを解消するために心から過去の悲しい侵略の問題を謙虚に反省しなければならない。
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明仁天皇
1990. 5. 24.
盧泰愚大統領国賓訪問のきっかけ晩餐会のあいさつ。

韓国によってもたらされたこの不幸な時期に帰国国民が経験した苦痛を考え、本人は痛惜の念を禁じ得ない。
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海湖首相
1990. 5. 24.
盧泰愚大統領国賓訪問の契機首脳会談。

新しい両国関係構築のためには、韓日間の不幸な過去を厳粛に心に刻まなければならないと考える。

過去の一時期、韓半島の皆さんが我が国の行為によって耐え難い苦難と悲しみを体験なさったことに対して謙虚に反省し、正直に謝罪を申し上げたい。
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宮沢首相
1992. 1. 16.
公式訪ねたきっかけ晩餐会の辞。

我が国民は何よりも先に、過去の一時期に帰国の国民が日本の行為で耐え難い苦痛と悲しみを体験された事実を想起し、反省する心を忘れないようにしなければならない。

私は総理としてもう一度帰国国民に反省と謝罪の意を申し上げたいと思います。
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宮沢首相
1992. 1. 17.
公式訪韓の国会演説

○我が国と帰国との関係で忘れてはならないことは数千年にわたる交流の中で、歴史上一時期に我が国が加害者で帰国が被害者だったという事実である。

■本人はこれまで朝鮮半島の皆さんが我が国の行為に堪え難い苦痛と悲しみを体験したということについて、改めて心から反省の意と謝罪の意を表明する。

○、最近では、いわゆる従軍慰安婦問題が取り上げられているのに、本人はこのようなものは本当に心の痛いこととして大変申し訳なく思っていること。 さらに、本人は、去る2次世界大戦当時、生きた人で我々の世代の過ちが二度と繰り返されないように21世紀を担当する次の世代に歴史を正しく伝えなければならないと感じていること。 これは本人を含む我が世代の責任である。

我が国はこれまでこのような関係に対する正しい理解の普及に努めてきており、今後ともこのような努力を続けていく。

本人は過去の事実を直視する勇気と、被害にあった人々の感情を理解し、そして二度とこのような過ちを繰り返さないようにする警戒心を国民、特に青少年に培っていく決意を持っている。
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細川首相
1993. 8. 10.
記者会見

○第2次世界大戦は侵略戦争であり、誤った戦争だと認識している。
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細川首相
1993. 8. 15.
戦没者追悼式

アジア隣国をはじめとする全世界の戦争犠牲者と遺族に対して国境を越えて哀悼の意を表する。
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細川首相
1993. 8. 23.
国会施政演説

○過去の戦争は侵略行為であり、近隣アジア諸国に対して深い反省と謝罪を示す。
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細川首相
1993. 11. 6.
●慶州実務訪問の契機首脳会談

○、過去の我が国の植民地支配において、朝鮮半島の皆さんが、例えば、母国語教育の機会を奪われ、他国語の使用を強要されて、創氏改名という変なことが強制されて、従軍慰安婦・労働者の強制連行など各種問題があったが、耐え難い苦痛を強要されたことについて、加害者として、我が国がやったことについて深く反省し、今回の機会に再度心より謝罪を申し上げるということ。
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明仁天皇
1994. 3. 24.
金泳三大統領の国賓訪問のきっかけ晩餐会のあいさつ。

我が国が韓半島の皆様に大きな苦難を抱かせた一時期があった。 本人は数年前、このことについて本人の深い悲しみを表明したが、今も変わらない心情を持っている。

戦後、我が国は過去の歴史に対する深い反省の上で帰国国民との間で確固たる信頼と友情を構築しようと努力してきた。
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羽田首相
1994. 5. 10.
所信表明演説

○、来年は太平洋戦争終結50周年になる年で、日本が過去に行った行為は、国民に多くの犠牲を持ってきただけでなく、近隣の帝国国民たちに、今までも大きな傷を残していること。

○前回の閣僚発言が近隣諸国国民に与えた悲しみと憤りはこれを証明するものであり、発言が撤回されたと言っているが、このような事例に達したのは実に遺憾である。

○この機会に日本の侵略行為及び植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦衷と悲しみを与えたという認識を新たにし、これを後世に伝えるとともに深い反省に基づき平和の創造とアジア太平洋地域の輝く未来建設に向けて努力していくことが
今後日本が進むべき道であることを確信する。
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村山総理
1994. 7. 18.
所信表明演説

○前後50周年を控えて本人は日本の侵略行為や植民地支配などが同地域の多くの人たちに耐え難い苦難や悲しみを与えたという認識を新たにしながら、深い反省に基づいて不戰の決議の下で世界平和の創造に向けて努力すること。

○ このような見地から、アジア近隣諸国等との過去の歴史を直視するとともに、次世代を担う人々間の交流及び歴史研究分野を含む各種交流を拡充するなど、相互理解深化の必要性に応じて今後その具体化に向けて急ぐこと。
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村山総理
1994. 8. 31.
総理談話

○明年の日本敗戦50周年を迎えて、過去史に対する深い反省と不戦の決議のもとにアジア近隣諸国との歴史に関する正しい認識の確立。
*近隣の帝国国民との相互理解促進目的の’平和友好交流計画’推進(同’計画’は歴史研究支援、交流事業に10年間、1千億円の投入)
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衆議院
1995. 6. 9.
衆院不戦決議

世界近代史で数多くの植民地支配と侵略行為を考えると、我が国が過去行った行為と他国人、特にアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の意を表明。
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村山総理
1995. 8. 15.
戦後50周年の特別談話

日本は遠くない過去の一時期、国家政策を誤って戦争への道に進み、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略で多くの国々、特にアジア諸国に多大な損害と苦痛を与えた。

歴史の真実を謙虚に受け止め、もう一度痛烈な反省の意を表し、心から謝罪の気持ちを表明する。
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橋本総理
1996. 1. 22.
国会開院時の施政演説

重い荷物と未来の責任から逃れることができない。
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橋本総理
1996. 6. 23.
済州訪問時の首脳会談。

○過去からの重い荷物と未来の責任から逃れることができない。
*創氏改名、日本軍慰安婦謝罪表明。
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明仁天皇
1998. 10. 7.
金大中(キム・デジュン)大統領が国賓訪日きっかけ、晩餐会の挨拶

○(…前略…)密接な交流の歴史がある反面、一時韓国が韓半島の皆様に大きな苦痛を与えてくれた時代があった。 それに対する深い悲しみはいつも本人の記憶の中に残っている。
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小渕首相
1998. 10. 8.
金大中(キム・デジュン)大統領が国賓訪日契機共同宣言及び共同記者会見冒頭発言

○今世紀の日韓両国関係を振り返り、日本が過去一時期植民地支配によって韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止めながら、これに対して痛切な反省と心から謝罪する。
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小泉首相
2001. 10. 15.
訪韓のきっかけは西大門(ソデムン)独立公園を訪問した後、演説。

日本の植民地支配によって韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに対して心から反省と謝罪の心を持ち、今様々な展示 ·施設 ·拷問の痕跡を参観したところ、これは総理大臣としてというよりは一人の政治家として、このような苦痛と犠牲を強要された方々の悔しさを忘れてはならないと考える。

○ このような過去の歴史を勘案してまた反省していきながらこのような苦難の歴史を二度と繰り返さないようにこれからお互いに協力していかなければならないということを痛感する。
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町村外相大臣
2004. 4. 13.
独島特別委委員団の訪日きっかけの接見市

○1995年の村山談話、1998年韓日パートナーシップ共同宣言などを通じてすでに表明されているように過去の植民地支配などの侵略行為について心から反省するという日本側の立場に変わりない。
*以降、独島及び歴史教科書問題に対する日本側の従来の立場表明。
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小泉首相
2004. 4. 22.
アジア ·アフリカ首脳会議演説

我が国は過去の植民地支配と侵略で多くの国家、特にアジア諸国の国民に多大な損害と苦痛を与えた。

○このような歴史的事実を謙虚に受け入れて痛切な反省と心から謝罪の心情をいつも胸に刻みながら、第2次世界大戦後、一貫して経済大国はなっても軍事大国にはならず,いかなる問題も武力によらず平和的に解決しようとする立場を堅持してきた。

○今後も世界各国との信頼関係を大切にしつつ世界の平和と繁栄に貢献していくことを改めて表明する。
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安倍首相
2007. 3. 11.
NHKの「日曜討論」出演。

○「河野談話」を受け継いでいくというのが一貫した姿勢である。

○そして当時、慰安婦が受けた心の傷と大変な苦労について、小泉元首相や橋本元首相も、慰安婦出身者に対して(謝罪の)手紙を送っており、その心は本人も全然変わりがないこと。
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安倍首相
2007. 3. 26.
参議院予算委

○慰安婦被害者たちが苦い経験をしたことに対して同情の心を表わし、当時そのような状況に置かれたことについて謝罪の心を表す。

今私がこの場で総理として謝罪の気持ちを表しているもので、 ‘河野談話’で述べているとおりである。
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安倍首相
2007. 4. 23.
「官邸の出入り記者団とのインタビュー」

○首相として当時の慰安婦が置かれていた状況などを考慮して心から同情を申し上げ、苦難を受けたことについて申し訳ないと思うこと。
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安倍首相
2007. 4. 27.
日米首脳共同記者会見

○慰安婦女性たちが極度の苦難と犠牲を甘受しなければならなかった状況について胸深く哀悼を感じ。

日本の首相として謝罪を表明することで有り、彼らがそのような状況に置かれたという事実に対する謝罪を表明する。
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鳩山首相。
2009. 10. 9.
訪韓のきっかけ、韓日首脳の共同記者会見。

私はいつも歴史に対して前向きに歴史を直視する勇気を持たなければならないと申し上げて来たし、それは新しい政府でも重要な考えとして位置づけられている。

言うまでもないが、過去のいわゆる「村山談話」の心を一人ひとりの政府あるいは国民が重要な考えで理解することがまず重要だと思う。
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岡田外相。
2010. 2. 10.
訪韓のきっかけに韓日外相の共同記者会見。

(冒頭発言)

今年は韓日関係において世紀にわたって転換点となる年である。 100年前に起きた出来事と関連、私は韓国の人々にとって国を奪われ、民族の自尊心に大きく傷を負った事件だったと思います。

私は日本人という自負心を持っている。 そのため、国を奪われて誇りを傷つけられた人々の心が理解できる。 私は併合された側、痛みを覚えている被害者側の心を決して忘れてはならないと思う。

○これから先の100年を凝視し、真に未来志向の友好関係を強化していくことを希望したこと。 私の今回の訪韓がそのような関係の基調を構築するために役立つことを願っており、続けて不断に努力する決意です。

(質疑応答時)

先ほど申し上げたように今年は韓日関係に大きな転換点となる年である。 鳩山首相もよくおっしゃったのだが、今年に過去の負の歴史を蔑ろにすることなく今後の100年を見据え、未来志向の友好関係を強化していきたい。
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菅首相
2010. 8. 10.
強制併合100年内閣総理大臣談話

今年は韓日関係において大きな転換点となる年である。 正確に100年前8月韓日併合条約が締結され、以後36年にわたった植民地支配が始まった。 3・1独立運動など激しい抵抗にも示されたように、政治・軍事的背景の下に当時の韓国人は、その意に反して行われた植民地支配で国と文化を奪われ、民族の誇りに深い傷を負った。

私は歴史に対して真面目に臨むつもりである。 歴史的事実を直視する勇気とこれを認める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直に臨む。 また、痛みを与えた方は忘れやすく、受けた方はこれを易しく忘れることができない。 このような植民地支配がもたらした多大な損害と痛みに対し、ここに改めて痛切な反省と心から湧き出る謝罪の心情を表明する。

○このような認識の下に今後100年を眺めながら、未来志向的な韓日関係を構築していくこと。 また、これまで実施してきたいわゆるサハリン韓国人支援、韓半島出身者の遺骨返還支援といった人道的協力を今後も誠実に実施していく。 また、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由して搬出され、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌など韓半島に由来した貴重な図書に対し、韓国民の期待に応え、近くこれを返還したい。
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—最後の修整日
2015. 07. 14.—

ネイバー
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