文在寅(ムン・ジェイン)大統領は金日成(キム・イルソン)をどのように考えているのか具体的に言及したことはないが、金正恩を”恋人”に比喩して、金日成(キム・イルソン)主義者である申栄福(シン・ヨンボク)を思想家として尊敬すると公言しており、平壌(ピョンヤン)にて大韓民国憲法とは合わない”南大統領の文在寅(ムン・ジェイン)”と述べている。 フリードリヒを崇拝したピョートル3歳、カストロを尊敬したチャベス大統領がロシアとベネズエラに及ぼした影響を考えれば、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の金日成(キム・イルソン)および北朝鮮労働党政権に対する考え方が気になる。 彼の父が韓国戦争に渡ったことを挙げて文大統領の反共意識を信じている人もいるが、国連演説で韓国戦を南侵とせず、”内戦”と呼ばれた点に留意しなければならない。 文大統領の言葉と文書が参考になるだろう。

本を読むのが好きな習性は父のおかげだ。 …手当たり次第に読んだから ‘思想界’のような意識を覚ます雑誌も比較的早く接した. (父が)…まれに言う言葉を聞いてみると、社会意識の深い方だった。 日韓会談の時、隣人の大学生になぜ日韓会談に反対しなければならないのか説明してくれるのを聞いた覚えがある。 わが国は農村を蘇らせる重農主義的成長を追求すべきだが、朴正煕(パク・チョンヒ)政権が逆に低価格で農村を殺す政策を取っていると言ったことが、幼い私に強く響いた。>(文在寅の運命)

<咸鏡南道興南(ハムギョンナムド・フンナム)出身の文在寅(ムン・ジェイン)の父親は、日帝時代に咸興(ハムフン)農高を出て、北朝鮮の治下で興南市役所農業係長、国連軍進駐期間の間農業課長を務めた。 彼は、農業係長時代、共産党への入党を強要され、苦しんだ経験のため、二度と公務員生活しないと決心し、興南(フンナム)撤収の時に韓国入りし、「失敗した、とても無気力な生活を送るしかなかった。(大韓民国が問う)

「避難民が持っている北朝鮮に対する考えは少し違います。 「共産体制を嫌やがるのは一般的だが、戦争前に来た人々は北朝鮮体制がとても嫌いで、弾圧を酷く受けたりして来た人々なので、北朝鮮に対する憎悪心が非常に強いです。 北朝鮮出身ですが、北朝鮮を支援することについて否定的な感情と考える人が多いですね。 反対に戦争の最中に下りてきた人々は、もちろん北朝鮮体制が嫌いで下りてきたが、それでも故郷に対する懐かしさがあって南北会談をしたり、離散家族再会でもすると、一日中テレビの前にぶら下がって涙を流します。 避難民は皆反北的だと考える場合が多いが、そうではありません。 戦争中に下りてきた避難民たちがはるかに多かったりします」(運命から希望に)

「お母さんのほうでは、誰も下りてこなかった。 母方の町は興南の北側を流れるソンチョン川のすぐ向こうにいたが、興南に入ってくる’グンジャギョ’橋を米軍が阻止したためだ。”(文在寅(ムン・ジェイン)の運命)

「大学時代、私の批判意識と社会意識に最も大きな影響を与えたのは、その頃、多くの大学生がそうであったように、李・ヨンヒ先生だった。 私は李・ヨンヒ先生の ‘転換時代の論理’が発刊される前に、その中に盛り込まれた ‘ベトナム戦争’の論文を ‘創作と批評’誌で先に読んだ。 …1、2部は、誰も米国の勝利を疑わない時期にアメリカの敗北とベトナムの敗亡を予告した。 3部はその予告がそのまま実現されたことを現実の中で確認し、決算するものだった。 少なくとも文書の中でも、より真実の勝利を確認しながら、読む自分自身も、喜びを感じた記憶が生々しい。”(文在寅(ムン・ジェイン)の運命)

「親日勢力が解放された後も、依然として羽振りを利かせ、独裁軍部勢力と安保を盾にしたえせ保守勢力は、民主化後も韓国社会を支配し続け、その都度、化粧だけを変えるのです。 「親日から反共へ、または産業化勢力へ、地域主義を利用した保守という名で、これが本当に偽善的な虚偽勢力なんです」(大韓民国が問う)

脱北者たちを受け入れてくれた大韓民国と国民に対するありがたさが全く感じられない。

趙甲濟ドットコム
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