ライター:黒田福美

今年の重陽節、九月九日の節句は例年にも増して格別の法要となった。
お一人、玄界灘が荒れてお見えになれなかった方があったが、それでも16名の方がご一緒にお寺に泊まってくださった。
日本からは林侃道さま、大西龍心さまという二人のお坊さんがおいでくださった。
韓国の念珠作りや、仏者としての誓いを立てる「お授戒」をいただいたほか、
林侃道師からは、私たちテンプルステイをする人たちが自由に使える講堂の如如堂(여여당)にて、坐禅指南をしていただいた。

一晩明けて、翌日は4時というまだ暗いうちから本堂である大雄殿に座していると、木鐸を打ちながらお経を唱える尼僧の声が、お堂を巡ってゆく。

その後に、梵鐘が静かに山々に響きわたり、堂内で厳かに鐘が打ち鳴らされてお経が唱えられる。
秩序ある静かで清々しい時間。テンプルステイならではの美しい時間。

韓国では重陽節の法要には、その年に亡くなった方のある信徒さん家族がその方の位牌を祀って供養する。

また客死(旅の途中で亡くなる)したり、この世に生まれることのできなかった子供の魂、非業の死を遂げた方などを供養する意味合いもある。

そのことから、戦禍に散った朝鮮青年の御霊を供養するならばこの日をおいてほかにないというご住職のお言葉で、私たちは旧暦九月九日の重陽節に毎年集まっている。

今年はそんな信徒家族の方々よりも、帰郷祈願碑の供養にお集まりくださった方のほうが多いくらいであった。

こうして、年々私たちの供養が心ある人たちの間に波紋のように広がっていってくれることを本当にありがたく思う。

今年の法要では、日本からのお坊さんお二人が特別にお経をあげてくださった。

重厚で、妙なる節回しのお声が堂内に響いてゆく。
韓国の信徒さんたちも、おそらく初めて耳にするであろう日本のお経にじっと聞き入っていた。

今年はいろいろ思うところがあった。

こうして集う私たちはなにか、それそれに深い縁があるように思えた。

日本統治の時代に朝鮮人でありながら日本国のために、あるいば将来の朝鮮民族の若者の未来のために、自分を犠牲にしていった方たちを捨て置くことができないという同じ思いで、私たちは繋がっている。

時間とお金をかけ、はるばる海を越えて集まった私たちは、彼らを弔わずにはいられないという一点で、なにか深い因縁があるように思えたのだ。

故国韓国では、彼らを弔う事もお祀りすることも許されない。

「帰郷祈願碑」が横たえられてあるその姿は、「同胞たちよ、忘れないでいてくれ。俺たちがあったことを!」と、雨に濡れながらも現代の韓国の人々に訴え掛けているように思う。

いつか、同胞たちからこそ、深い理解と労いの言葉をかけてもらえる日のくるまで、私たちは毎年、ここ文殊山法輪寺に集い、彼らの魂の帰郷を祈る。