厚生労働大臣が毎年、もっとも優れた技術者に「現代の名工」として発表しますが、
今年は陶芸家、19代目市川光山(いちかわこうざん)先生が選ばれた。

1592年5月24日から豊臣秀吉は朝鮮半島に対して戦争を始めた。その際に、韓国の陶芸家であった李参平(りさんぺい)氏と他の陶芸家たちを鍋島藩(なべしまはん(今の佐賀県)が日本に連れてきました。李参平先生は九州の山々を歩きまわり、ついに有田町の「泉山(いずみやま)」において、陶器の原料となる石を見つけ、そこに試作用の窯(かま)を作ります。(1616年)

その後、鍋島藩は伊万里市の大川内山に磁器の製造エリアを移します。そこには番所と呼ばれる通行を厳しく管理する場所を作り、技術が他の漏れないように管理します。これを鍋島藩の「御用窯」と呼びます。この時、李参平先生の技術を受け継ぎ、御用窯の責任者が市川家です。

伊万里市、有田町のエリアで多くの陶芸家がいますが、市川光山が19代目、柿右衛門(かきえもん)が15代目、今右衛門(いまえもん)が14代目、と有名な陶芸家の中でも
最古の窯元(かまもと)であり、今でも大川内山の山頂に窯があります。

1917年、日帝の時代、伊万里、有田の人たちが「李参平先生」に感謝の気持ちを込めて、記念の石碑を建てました。そして毎年、5月4日に李参平先生のために今でもお祭りをしています。日本の記録では、李参平先生は、日本に来てから積極的に磁器の発展のためにとても日本に協力的でした。

ところが、2005年7月韓国政府は、「李参平は、豊臣秀吉に強制的に連れて行かれ、協力を命令された」と文句を言いました。それだけではなく、李参平先生の石碑にも、「連行され、命令された」と書き換えろと言ってきました。伊万里、有田の人たちは田舎の人たちなので、とてもショックを受けました。仕方なく、そのような文章に書き換えてしまいました。

1670年以降、伊万里焼物はヨーロッパに輸出されます。この伊万里焼物を見たドイツでは、伊万里焼物を手本に「マイセン」が、デンマークでは「ロイヤルコペンハーゲン」が、それから1世紀かけて磁器の製造に成功します。マイセンは色鮮やかな「色鍋島」を基本に、ロイヤルコペンハーゲンは、「伊万里染め」を基本に作られました。そのことから、今でもヨーロッパの人たちは伊万里焼き、有田焼を愛しています。

これらの全ての歴史は、「李参平先生」から始まったものです。それを日本人たちは心から感謝し、石碑を建て、お祭りまでしていたのに、韓国政府が李参平先生を「強制労働させられた」と認定しました。そのことで、世界には「李参平先生」の功績は広まっていません。
つまり、韓国政府からすれば、李参平先生は「被害者」だそうです。

私は、必ずこの10年で「李参平先生」の名誉を回復します。日本に残る記録は、李参平先生が一生懸命、日本人とふれあい、多くの技術を日本人に伝えました。日本で亡くなるまで、
李参平先生はとても幸せな人生でした。韓国政府の言い分はとても納得できません。

しかし、その李参平先生の技術を代々受け継いだ19代市川光山先生は、とても凄い先生です。日本政府大臣認定の伝統工芸士は、普通は70歳ぐらいで取れるものですが、市川光山先生は30代で取り、また、工芸部門3部門と、陶芸の1級資格3部門、合計6部門の資格を取ったのは日本で市川光山先生が初めてですし、もう未来にはそのような陶芸家は出てこないと言われています。これこそが、19代目の技術です。柿右衛門などは工場生産です。一つの作品を14代柿右衛門が一人で作ってはいません。一つの作品には、焼物の形を作る人、焼く人、色を付ける人と何にもの人がかかわります。しかし、19代市川光山先生は、全て一人で作り上げます。本当の陶芸家です。ですので、注文しても2年ぐらいしないと商品は届きません。

19代目市川光山先生、おめでとうございます。ちなみに、彼は私の親友でもあります。
(本日のNHKのニュースです)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/saga/20191108/5080004445.html…

追加資料
「李参平は、日本名を「金ケ江三兵衛」と言います。1613年に李参平本人が、お世話になった多久家に提出した文書「多久家文書」には、李参平の事が詳しく書かれています。李参平は当時、10人の日本人の弟子を持ち、120人の職人をマネージメントしていました。そして苗字を持つことから武士と同じ待遇を受けています。

李参平の子孫にあたる「金ケ江惣太夫」が1806年に提出した「金ケ江古文書」には、李参平は、当時の鍋島藩の当主、鍋島直茂の道案内を朝鮮半島でやっていました。ところが、鍋島直茂が日本に帰る際、李参平は「日本人に協力した朝鮮人」として村の人々に酷い目に合うと言うことで、鍋島直茂が気をきかせて、李参平とその周りの人々を佐賀に連れてきたと記載されています。」

つまり、400年前に書かれた古文書に上記の記載があります。
これでも、韓国政府は「強制連行」と言うのです。」