ライター:山田 寛人

『帝国日本の植民地を歩く』という本に、ロジャー・ケースメント(Roger Casement, 1864-1916)というアイルランド人が出てくる。彼は「英国の被植民者でありながら、同時にアジア、アフリカなどの被植民地に対しては植民者の立場だった」。日本の被植民者であると同時に旧満洲や占領地に対しては植民者の立場だった朝鮮人とも重なる。
彼は大英帝国の植民地官僚になったが結局、その大帝国の手によって大逆罪で処刑されてしまう。1922年に独立したアイルランドでは彼に対する評価が、英国政府の手先である官僚だった点を強調して彼を批判するものと、アイルランド独立運動のための反英的な行動で結果的に大逆罪にされた犠牲者とみるものとに分かれた。
「結局、彼の死後五十年が過ぎ、英国をはじめ多くの国で彼の植民地批判と人権的行為が愛郷的・民族的なナショナリストの次元を超えて普遍的な人権運動家、民族主義者、国際化の先駆者であると高く評価され、国際的に平和に貢献した人物と認定されるようになった。彼に対する否定的イメージが、時代的状況に従って肯定的な評価に変わっていった」(156頁)
このような話を聞くと、他人や社会からの評価がどれほど勝手であてにならないバカバカしいものなのかということがよくわかる。それにもかかわらず人間は、他人や社会からの評価を気にしてそれに一喜一憂する。そして、その評価に縛られる。逆に、評価を気にせず自由に生きようとすれば、自己中心、自分勝手に陥る。
だから、この世の価値基準とは全く別次元の自由を考えなければならない。あやふやで相対的な基準ではなく、絶対的な基準に縛られる自由。
参照:崔吉城『帝国日本の植民地を歩く』花乱社、2019年

 

url:https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2824833547526848&id=100000006923242