ライター:Jin Kaneko

《『反日種族主義』についての私の全体的な印象・所感》

今、『反日種族主義』(文春刊)を崔吉城先生の『帝国日本の植民地を歩く』などと一緒に並行して、丹念に少しずつ再度読み進めているところだ。一度はざっと通読した。その詳細な読後感はそのうち投稿をすることがあるだろうと思う。ここでは、ざっと通読した全体の印象について、私の所感を述べてみたいと思う。

いきなり、こんなことを言って申しわけないが、私は『反日種族主義』に真新しさや新鮮さは感じなかった。その内容の大部分の記述に既視感があるからだ。というのは、過去の李榮薰さんらの著作や論文等の内容とかなり重複をするのである。

 たとえば、日本語Wikipediaの「李榮薰」の項の「著書・論文」に「(朝鮮語) 『大韓民国の物語 解放前後史の再認識講義』(2007年、기파랑) ISBN 9788991965607」というものがある。そこに、ずらっと、リンクの貼られた「講義」録がある。これを読むと、『反日種族主義』で扱っている項目と内容に重なる部分が多いことを確認できるはずである。

ちなみに、これは2006年2月10日にチェクセサン(책세상)社から『解放前後史の再認識』を刊行した4カ月後の同年6月19日から6日間にわたって、李榮薰さんが韓国EBSラジオで行った特別講義の内容を整理した講義録だ。私は、過去にFB投稿に際してこの講義録をずいぶん引用してきた。リンクが切れてしまっていたが、こういう形でここに保存され、wikiに紹介されていることを最近知った。
韓国語のサイトへのリンクなので、日本の方には読みにくいかもしれないが、自動翻訳機能を使えば大意は理解可能だと思います。

もちろん、李榮薰さんだけでなく、FB友人の李宇衍さんらも執筆陣として参加しており、さらに新たな研究の成果・知見も盛り込まれているから、過去の著作・論文等を再構成した図書という言い方は当たらないが。

そういう意味で、全体の印象としては、植民地近代論をめぐる主張と議論やニューライト運動、代案教科書等をめぐる論点などを含めた集大成を、ややエクセントリックに強調しながら、一般向けに問題提起を行った著作物という印象である。まあ「反日種族主義」などという挑発的なタームを考えた時点から、意図的に挑発的であり、エクセントリックなのだ(笑

それが何に対する問題提起かというと、ずっと行ってきた韓国の国史学の歴史認識・歴史叙述に対する問題提起の一般の理解を深めること、それと、そうした従来の歴史認識・歴史叙述を通説や常識として理解している韓国の国民たちが自発的な疑問を持つきっかけを与えることを主な狙いとしているように思う。

この問題提起は、李榮薰さんらにとっても目新しいものではない。機会あるごとに、何度も提起してきた論点である。この『反日種族主義』の目新しいところは、李榮薰さんらが、特に韓国の一般の人々と、この問題意識を共有したいと願ったところだろう。

ここで注意しなければならないのは、同書の刊行の意図は、いわゆる韓国批判や嫌韓本とは違うということだ。韓国で流布している歴史叙述や認識に対して、多くの韓国人が疑問を持つきっかけを提供しようとしているということだろうと思う。

これを学者の書いた通常の歴史書、学術書という目線で見る、さまざまな書評が出てきている。そういう目線から、同書の記述の雑駁さや、あるいは李榮薰さんらの主張に有利な論点を選んでいるとか、論文や学術書にはないようなエキセントリックさや挑発的な言動があるなどの指摘もある。

こうした書評の指摘は、前述したように李榮薰さんらの刊行の意図をたぶん斟酌していない結果だろうなという気がする。こうした指摘は、一般読者層への理解のしやすさとインパクトを狙った結果だろうと思うし、李榮薰さんらもそれを甘受する覚悟ができているのではないかと思う。そういう指摘は覚悟で刊行した、学術書ではない一般書なのである。

たとえば、同様に一般読者層を狙った李榮薰さんの著作に『大韓民国の物語』という李榮薰史観の通史があるが、これに比べると、『反日種族主義』のほうは、かなり挑発的ではある。
この狙いは、今日的状況・情勢という背景はあるものの、韓国においてかなり異例な売れ方をしたという点で当たったのではないかと思う。意図的に、そういうつくりの著作物にしたということだろうと思う。

日本流にいえば、書店の奥のほうの訪れる人たちもまばらな専門書・学術書のコーナーに1、2冊「棚ざし」される本ではなく、店頭に「平積み」される露出度の高い図書をねらったのである(韓国の大型書店も同じようなものだけれども)。『大韓民国の物語』も日本でも刊行され、その筋の人たちの話題になったが、日本の注目度としては『反日種族主義』にははるかに及ばない(李榮薰さん、すみません)。

日本の出版社あたりだと、新刊の企画会議で、営業なども説得しやすい造本の企画になっている。そういう意味では、普通、編集者が著者を説得するのに苦労する(かもしれない)部分だ。

学会や研究者などの閉じた議論の場での問題提起では埒が明かないということはあったのかもしれない。そういう意味で、代案教科書なども、一般の韓国人たちを議論の場に取り込む試みといえるかもしれないが、あまりにも政治的に取り扱われ、その中身の議論にはなかなか至らなかった。この代案教科書問題は、盛んに新聞などのニュースネタにはなったけれども、その代案教科書に書かれた内容が韓国の一般人たちに広がったかというと、それほどではなかった。『解放前後史の再認識』も、かなり大きな話題になったが、それをどれぐらいの韓国の一般の国民が読んだかというと、李榮薰さんらに、その点では不満があるだろうと思う。こういう言い方をしてよいかどうかわかりませんが、敢えて言わせてもらえば『解放前後史の再認識』は、いわば複数の気鋭の研究者の論文の梗概集のようなものでしたからね。

この『反日種族主義』は、そういう反省も込めた試行錯誤の一つの取り組みと言えるかもしれない。学者・研究者がエキセントリックになるというのは、ある意味リスクであると思うけれども、そのリスクを背負う覚悟もしたということだろうと思う。

曺國(조국)さんが目くじらを立てて、FB投稿をするぐらいのインパクトがあったということは、たぶん李榮薰さんらの意図に即して、韓国において成功したということだ。
敬して遠ざけられる本ではなく、できるだけ多くの韓国の人々に手に取ってもらい、読んでもらい、自分の歴史常識に対して、できれば衝撃的に、揺さぶられるように疑問をもってもらうことが重要なのだから。李榮薰さんらにとっては、「詳しい話、難しい話はその後だ」という感じなのだろうと思う。