映画”殿、利息でござる”
ほんまに頭がしびれる程の内容でこざる。

テレビで商売をしてる人たちのセリフが美味しいもんを食べて人が喜ぶ笑顔が見たいとか、人が喜ぶなら自分の苦労は悔にせんとかを聴いて何で自分の為じゃなく人の為に尽くすのか疑問に思う時が多々あった。結果的に人の為にが自分の為になることであるけど。
お菓子を一つ作るにしても徹底して味を追求し究極の美味しいものを作り上げるその心構え、ものを作りにしても奥の奥まで見極めて最高のものを作り上げようとするその精神は何処から来たんだろうと疑問に思いながら、その徹底ぶりに感心しながらも、何故そこまでこだわる?と頭が痺れる程だった。

その何故?と言う疑問にこの映画は少し答えになったと思う。
それ以外、映画を通じて知ったことは、江戸時代は身分社会でその身分によって服装の決まりがあったこと。百姓は傘をさしてはならぬ、とか。
それと大肝いりが旅中に山で川の水をそのまま読める程水が奇麗だったこと。勿論、昔はそのまま飲めるほど自然が奇麗だったから飲めたと言えるけど、今もそのまま飲めるほど水が奇麗であると言えるからである。
一つ朝鮮時代と比べて違うと感じた点は、私有財産が認められて仕事で頑張れば銭をもらえて生活が出来蓄えも出来たこと。その私有財産はいくら武士とはいえ侵害しなかったことである。それに比べて、朝鮮時代は両班が百姓に無理やり財産を奪ったり勝手に私有財産に手を出したりしたという。だから結局は社会が衰退し滅びるまでに至ったのであった。

それにしても、その”穀田屋”が今も続いて商売してるなんて凄いなと思うだけで他の表現は見当たらぬ。

まぁ!肝心なことはこの映画を通じて日本人がみんなそうであると勘違いしてはならぬことであろう。