李舜臣率いる全羅左道水軍の拠点。朝鮮時代後期に建てられた鎮南館が現存する。

朝鮮時代、
文禄・慶長の役が起こる前に朝鮮では本当に日本が侵略して来るのかを伺う為に通信使を派遣したことは広く知られている。帰って来た通信使の正使は日本が侵略して来る可能性が高いと報告した半面、副使はその可能性は低いと報告した。この時朝廷ではどっちの報告を信じるか迷ったようだが、当時政権を握っていた副使の報告を採用し日本軍の侵略に国を挙げて備えなかった。それでも政権を握っていたリーダーの柳成龍は不安の末密に人事を行う際に全羅左水営の責任者として李舜臣を推薦した。その時王である宣祖が戦に負けた人をどうして重要な要職に推薦するのかと尋ねた。これに柳成龍は負けた経験があるこそ推薦すると答えた。このやり取りは本当かどうか定かではないけど、韓国の人気ドラマ”不滅の李舜臣”に出てくるセリフである。

これは負けた経験から学び勝つためにはどうすればいいかを知ってるから推薦したことで、今で言うと失敗から学び成功に導くと言うことであろう。
実際、李舜臣は韓国で異常に英雄視されているが素晴らしい戦いをしたことではない。彼の戦法はゲリラー戦で少ない兵力で不利な状況下で日本軍に挑んだので個人的には正しかったと思っている。

帝国日本が大東亜戦争に於ける戦略は歴史からどれ程学んだか疑問に思う。度重なる敗戦でそれでも同じく戦法を持ち込んで悲惨で大きな被害っを出してしまい最終的には敗戦に至ってしまった。この敗戦は日本の治らぬ病気である”温情主義”に起因すると思う。作戦が失敗しても交代させず続投させた参謀陣。これはアメリカの実力主義と大きく大別される。ガダルカナルの三回に渡る作戦失敗は日本に取って致命的だった。
こんなもん日本は二度と戦争を起こしまい。どうしても戦争がしたければ、列島の中で西と東に分かれてやるべきである。

その日本の”温情主義”は今の社会のあちらこちらに残っていると思う。その”温情主義”を打破し”能力主義”を重視する会社は売り上げを伸ばしていると放送を通じて確認してる。
しかし、能力主義としてもすべてが成功するとは限らないと思うけど。

全羅左水営城
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