大東亜戦争史を読んでいる最中にこの本が届いた。日本軍特別志願へについては聞いたことはあると思うものの殆ど記憶に残っておらずそれほど関心がなかった。その関心が無かったというのは韓国の彼らに対いする歴史から消そうとしたその影響に起因することに気づいた。また、大東亜戦争の過程で日本が負けたとしてもそれはしょうがないと思っていたにしても、その中身があまりにもずさん且つ悲惨だったので歴史とは言え自分の感情をコントロールできないくらい激しい憤りを感じていた。そういう記憶に薄れた日本軍特別志願兵の存在をこの本を通じて鮮明に脳に焼き付けたことになり、戦争の過程で起きた連続のミスで感じた激しい感情をこの本を通じて他の素晴らしい部分があったことを知ることになった。

著者の放大な資料の調べや関係者へのインタービューまた読書の量はその豊富さと徹底した調査故に鋭い分析力は総じて計り知れない程大きなスケールに圧倒されるのを感じた。大東亜共栄圏は何だろう?ただ聞いただけの単語でその中身は全く知らなかった。勿論この本を通じて知ったことではないけど本の少し触れただけの内容だけで、日本帝国の東南アジア諸国を欧米諸国に対抗させるために訓練させた兵士が戦後それぞれ独立した自国の中核を担う軍隊の母体になっていたこと、またその時訓練を受けた兵士の中で国のリーダーまでになっていたことは帝国が残したその影響はとても大きかったことを知ると共に戦争に負けたとは言えその精神的遺産は日本のプライドを取り戻してくれたとこの本から読み取れる。
この本から新たに知ったこと、感じたことは沢山ある。日帝時代の朝鮮社会をちょっと覗いてみることが出来て、今まで知らなかった事実を知ることになり、特別志願兵は日帝時代に帝国の強制によるものだと呆然として認識していたのが、いやいやそこには朝鮮協力エリートの存在があり、彼らの政治参政権を巡り取引の結果生まれたことを知った。では、特別志願兵は何故命を担保にしてまで志願兵に志願したんだろうか!その部分についてこの本は放大な資料と証言をもとに著者なりの結論を出している。

感想を全部記すのは不可能で、特に大きく認識を変えた部分について簡単に書くことにする。
まだ学生の時代にテレビを通じてちらっと軍属体験者の話を見たことがあった。その時飢えの末じん肉を食べたとの内容があった。学生の時はそんなに大した認識を持たず記憶に薄れていた。それから大分歳月が経ち、来日後去年、動画を見ているうちに偶然補給が途絶えじん肉を食べていた日本軍のドキュメントリーを見た。やはり事実だったなぁと、これは戦争犯罪に当たる行為だと思っていた。この本を読むまでは。この本には特別志願兵として訓練を受け後程東南アジアまで行って戦争に参戦した人もいた。そして生きて帰還した元兵士の中では飢えの末米軍を殺し食べたとの証言をした人がいた。ショックだった。日本兵がじん肉を食べたと知っていたのに中には朝鮮人日本兵が居たなんて。確かに朝鮮人も日本兵だったのは間違いない。補給が途絶え飢えの末死の目前として彼らはすでに理性を持った人間ではなく本能のみが働く動物の状態になっていた。動物の本能に従って行動しただけであった。そんな中で敵の兵士を取り食べざるを得なかったしたとして彼らを戦争犯罪云々と言えるのか?と気づいた。戦争は殺し合いの状況で敵を殺さなければ自分が殺される。敵を殺すために補給を絶たせたのは戦争犯罪にならないのか?戦場で彼らが取った行動は命令に生き・命令に死ぬ軍人としてその命令に徹底して従ったのである。国の政策の過ちについてはいくらでも非難をすることが出来ても、命令に従った兵士については非難より正当性を与えなければいけないとこの本を通じて感じた。命令に従ったその部分について非難されるとまた誰が国の為に命をささげるのであろうか!それにしても、密林の極限の環境下で生きて帰還を果たした特別志願兵はすでに人間の領域を超えた特別な存在で有ると感じた。