済州4.3暴動の本質

ライター:韓政碩ジャーナルリスト
済州4·3事件の本質は5·18光州と同じ性格の体制内の民衆抗争ではなかった。 共産暴徒と被害者を区別してこそ、真の和解が成立する。
1.1948年5月に予定された制憲国会議員選挙と、これに基づく韓国政府の樹立を阻止するために南朝鮮労働党(南労党)済州島党が所属の武装隊を動員して、南韓共産化の前哨基地として済州島を解放区にするために起こした武装反乱事件がその本質だ。
このような反乱と討伐の過程で済州島の多くの漁民が不幸に犠牲になったのも事実だ。
済州4・3事件の本質と和解方法は過去、金大中(キム・デジュン)大統領が最も明快に提示した。
金大統領は在任中、CNNとのインタビューで”共産党が起こした暴動”であると直接言及し、罪もなく犠牲になった良民を追悼し、補償すべきだという立場を示した。
南労党遊撃隊は1948年4月3日、一斉に済州道(チェジュド)内の12の警察支署などを襲撃し、警察官や選挙関係者の多数を死亡させた。
目的は、大韓民国政府樹立のための5月の総選挙を阻止するためだった。
それは大韓民国の建国を阻止するという反逆行為だった。 これを光州5.18のような民主抗争と言えるのか。
結局、米軍政と大韓民国政府がこれを鎮圧する過程で多くの済州島民が犠牲になった。
河泰慶(ハ·テギョン)議員が問題にした4·3事件の犠牲者は、北朝鮮人民軍師団長を務めたイ·ウォンオク氏、北朝鮮へ渡り海州(ヘジュ)警察署長になったというヒョン·マンホ氏、南労党人民解放軍司令官キム·ウィボン氏、南労党人民解放軍参謀長キム·ワンシク氏らだった。
河泰慶(ハ·テギョン)議員は”済州4·3事件と関連し、誰がどのような理由で犠牲者に選ばれたのかも分からないのに、どうやって彼らを追悼し、和解できるのだろうか”という言葉で、この問題の本質を正確に捉えた。
2. 済州には”クェンダン”と呼ばれる伝統的な血縁共同体文化がある。 “クェンダン”は”一家親戚”という言葉に翻訳できる。
数千年間、済州と言う島の住民たちは氏族共同体として絡み合って暮らしてきた。 そのため、いくら遠くても自分と寸数の計算ができるすべての人々は”クェンダン”になる。
クェンダンは下の村、上の村にも存在する。 そのようなクェンダンは、他人よりも先に助けなければならない対象だ。
済州4·3事件以前に産主義共の”共”の字も知らなかった多くの済州住民は南労党に入党したり、日本の植民地で社会主義者になったクェンダンの勧めで南労党員になったり、共産主義者になった。
米軍政報告書には、解放後の済州島(チェジュド)内の共産主義者の割合が80%に達するという情報が含まれていた。
しかし、大体一文不通の漁師や女性たちが共産主義を知って共産党や南労党に加入するはずはない。
済州島民が済州4·3事件で国軍や警察によって討伐された自分のクェンダンに対する悲しみを示すのはタブーだったという。
実際、名前さえ知らない南労党”グェンダン叔父”の手伝いをし、西北青年団によって”赤”と誤認され、犠牲になった10代の青少年もいた。
こうした済州のクェンダン文化は依然として済州4·3事件の本質を避けてきたがっている。 自分のクェンダンが南労党の反逆者だという事実は負担であり、だからこそ”問い詰めて何をしているのか”という自己防衛心理は”軍人と警察が暴徒”という避難所を作り出すのではないだろうか。 そんな心理制度の上に済州4·3公園は反国家的、反憲法的な枠組みの上に堂々と立っているのではないだろうか。
すべての歴史は”理念”という筆で書かれてしまい、体制の秩序というのはクェンダンのような原始部族の遺産では耐えられない。
なので、済州4·3公園内の反逆者らの”不良位牌”は済州人の手で先に片付けなければならない。 2020年の済州は66年前、”解放空間済州”ではなかった為だ。
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去る4月3日は1948年に韓国の済州にて起きた暴動により犠牲になった人たちの追悼の日であった。
今までは犠牲になった人たちを中心に国家による国民への無差別虐殺だったと主張してきたが、私もこの論調を信じて来たのは事実である。
しかし、その後明るみになった真相は国家による国民への無差別虐殺ではなかったことを知ることになった。
今までの認識通り日本でも被害者中心の認識が伝わり、特に李承晩政権の竹島領土の問題と絡み、李承晩政権の虐殺だったと広まっているが、その認識を再考する必要性を感じる。
確かに、主導者であろうが!煽られて関わってしまった人であろうが!民族の悲劇だったこと・時代の犠牲者になったのは間違いない。
今まで、この事件(暴動)に関する新たな事実が色々出てきているが、その中で添付の記事はより事件の本質を捉えた内容であると思う。