ライター:鄭安基(博士、経済学者、東アジア歴史研究家、反日種族主義の共同著者)
翻訳:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

 陸軍特別志願兵出身の軍事経歴者は20世紀戦争の時代に生まれ、軍人になろうと日本軍に身を投じた。 彼らは亡国奴の子孫として生まれたが、差別と蔑視、苦難と逆境を克服し、自由人の本性を持った近代人に成長した。 彼らは、陸軍兵志願者訓練所と正式な日本軍服務を経て、国家共同体のための服従·忠誠·犠牲の神聖さと尊さを内面化した。 彼らは1948年の大韓民国の建国と1950年の朝鮮戦争の当時、国際共産勢力から自分たちの祖国を守り、今日の大韓民国成就の基礎を築いた功労者だ。 以下ではいくつかの論点を整理することでこの研究をまとめる。
 一つ目は、陸軍特別志願兵、彼らは果たして誰なのか。 従来、宮田は帝国主義民族矛盾から彼らを韓国の農村に堆積した細民層と見なし、陸軍特別志願兵の志願を糊口之策の経済的動機と捉えた。崔·ユリは植民権力の広範囲で徹底した強制動員の結果と捉えた。 しかし彼らはいずれも成績や体格、家庭が比較的上位に属する生徒たちで、普通以上の経済を持つ韓国地域の中農層の次男だった。植民地時代の中農層は前近代両班出身の上流層と違って身分変更が容易で、かつ比較的内地である官公理と知識層の感化にも敏感な存在だった。
彼らが陸軍特別志願兵を熱望したのは、
常民の社会と称される北朝鮮地域と異なり、班常の社会だった韓国地域の郷村社会で横行する時代錯誤的な班常差別と地主制の矛盾、そして1939年の大旱魃の衝撃のためだった。 20世紀の開明天地にも伝統的な身分秩序を強要する植民地郷村社会において、陸軍特別志願兵制は骨髄に徹した恨みの噴出口であり、身分の洗濯·上昇·移動のための立身出世の近道あるいは梯子だった。 彼らが生きなければならなかった時代は1937年、徐廷柱(·ジョンジュ)詩人の父は奴隷だったで始まる自画像でよく凝縮している。
 前近代の常民層あるいは下僕たちは20世紀文明の時代にも舌を伸ばした病んだ雄犬のように郷村社会の差別、嘲弄、蔑視に耐えなければならなかった限のない恥ずかしい生だった。自画像20世紀の開明天地にも慣習と意識の領域で卑賤な身分のくびきから脱することができず、近代に住みながらも前近代の社会秩序と貴賤意識を強いられたこの地の数多くの男達の痛みと悲しみを歌った時代の自画像だ。 深い挫折と彷徨の日々だったはずの彼ら雄の息子または風の息子たちにとって、19382月の陸軍特別志願兵令の公布は彼らの運命に一大転換をもたらせる天の声だった。 そのため、年平均約46倍にのぼる志願者の倍率と韓国中心の地域的偏在性も何らおかしくなかった。
彼らが実体性を欠いた民族を反逆し、日本と天皇のために死ぬことを誓ったのは、彼らが反逆の血を生まれ持った不遜な家の子孫か、特に邪悪な売国奴だったからではなかった。 家計の経済力と学歴だけを見ると、彼らは自分たちに与えられた時代をしっかりと生きていくのに、それほど足りないことはなかった。 にもかかわらず彼らが陸軍特別志願兵を熱望したのは、開明天地にも消えぬ前近代の遺産として残存し、現実を緊迫する班常の身分差別、または血の淸濁で人間関係の社会的差別を強いれる郷村社会の矛盾と束縛のためだった。 彼らは普通学校に入学し、天賦人権と四民平等を教説する近代教育を受けた。 しかし、教室の理念と教室外の現実はまったく別だという事実に強く憤り、絶望しなければならなかった。 これらが陸軍特別志願兵制の施行に諸手を挙げて歓迎し、熱狂させたのは、他ならぬ身分差別を含む
われらの中の植民地主義“(internal colonialism)だった。

鄭安基(博士、経済学者、東アジア歴史研究家)