ライター:鄭安基(博士、経済学者、東アジア歴史研究家、反日種族主義の共同著者)
翻訳:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

 二つ目は、彼らは20世紀の大韓民国史でどんな存在なのか。 従来、彼らは朝鮮人の日本人化という皇民化政策を出世の道と勘違いした無知な存在あるいは親切な人種主義政策の展示効果に翻弄されるヒトリガ程度に把握されていた。 しかし、彼らは1920年代後半、児童就学率の約30%にとどまる状況でも普通学校を卒業し、身長1.6メートル以上で、日本語のコミュニケーションにも支障のない優秀な若者だった。 彼らは、道知事、朝鮮総督府、朝鮮軍司令部が実施する3回にわたる厳格な選抜選考と、46倍の熾烈な志願者競争率を突破した人材だった。 春園李光洙の比喩を借りれば、彼らは新しい民族史を開拓し先導する民族再生の担い手だった。
彼らは
皇国臣民の印と言われる陸軍兵志願者訓練所に入所し、所定の訓育と教育訓練を受けた。 陸軍兵志願者訓練所は、心身ともに忠軍愛国を修育し実践する国家権力の訓育装置であり、政治的に漂白され理念的に殺菌される国民づくりの生体実験室だった。 彼らは午前6時から午後10時まで、学科教育、精神教育、内務生活のきめ細かな網の中で、国家と国民を意識し、日本と天皇に対して死を誓う別種の人間に改造された。 彼らは朝鮮人の国民化という巨大な政治的実験を経て、個性、人格、自意識を否定し、時間、身体、言語の厳格な規律性を自己化した。 まともな近代国家の国民であり、精强な帝国の尖兵として訓育·鍛錬された。
彼らは、日中戦争とアジア太平洋戦争を経て、専門的な軍事知識と豊富な実践経験を積んだ。 透徹な国家観
·軍人観·死生観を内面化した。 1946年以降、彼らは幾つかの軍事学校を経て、大韓民国陸軍将校に任官した。 彼らは米軍政期、建国期、朝鮮戦争期における大韓民国の自由と人権を守るのに犠牲と献身をためらわなかった。 そのため彼らは1950-60年代、陸軍参謀総長、合同参謀議長、内閣首班(首相)にまで昇進することができた。 これらが大韓民国に尽忠報国できたのは、台湾人の李光輝(·グァンフィ)と朝鮮人金時衡(キム·シヒョン)の事例のように、日本が敗亡したからといって、彼らの精神世界を支配するナショナリズムが簡単に毀損されたり、無化できなかったためだ。 要するに彼らは実体性を欠いた民族を反逆し、日本と天皇のために死ぬことを誓ったからこそ、解放後の新しい祖国大韓民国に忠誠を尽くすことができたのだ。 言い換えれば、命をかけて忠誠と反逆の両家性·等価性を自ら実践し証明した逆説の主人公であり、大韓民国の建国の正しい精神史を身をもって体現したまともな国民であった。

鄭安基(博士、経済学者、東アジア歴史研究家)