【平壌4月22日発朝鮮中央通信】五千年の悠久な歴史を誇る朝鮮民族は、檀君を始祖とする単一民族である。

しかし、日帝は植民地支配時代、朝鮮民族に日本の建国神という「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を始祖に認め、神道(日本の土着宗教)の寺である神社を訪ねて日本王と「大日本帝国」に「忠誠」を誓う参拝を強要した。

朝鮮を不法非法に占領した日帝はまず、日本と同じように相異なる級の神社を大々的に建設して神社体系を確立した。

1915年に「神社規則」なるものを発表し、京城(ソウル)に全ての神社の総本山格となる朝鮮神宮なるものを建てた後、1931年末まで全国の至る所に50の神社、186の小さな神社を建設し、1942年末には神宮を2つに、神社を820余りに増やした。

また、1930年代に入って「皇国臣民化」政策の一環として朝鮮人民に神社参拝を強要した。

中日戦争の挑発以降、朝鮮総督の南次郎は各道庁に全国的に本格的な神社参拝を断行することを命令した。

南の命令に従って日本が建てられたことを記念するという「紀元節」と朝鮮侵略の元凶である睦仁(むつひと)が出生したという「明治節」などのいわゆる「国家祝日」と「記念日」に朝鮮人民と青年学生を強制的に引きずり出して神社に拝むようにした。

また、各級学校の生徒に1週間に1回ずつ義務的な集団参拝を強要し、神社の前を通り過ぎる人々は必ず拝むようにした。

もし、神社参拝に応じないか不平をこぼす時には「不穏思想」のレッテルを張りつけて逮捕、拘禁したり、「非国民」に取り扱ってあらゆる迫害を加えた。

実に、日帝の神社参拝強要は政治的・軍事的暴圧と弾圧虐殺、経済的略奪に劣らない最も破廉恥で悪らつな民族抹殺策動であった。