ライター:ナ・ヨンジュン(第3の道編集委員、韓国)
翻訳:崔榮黙(メディアドラジ管理者)

●組織の指導部内閣と国会に進出
●数多くの慰安婦の実存を単一な敍事に縛り付け
●慰安婦声に自分たちの欲望変えて
●無声の存在に付きまとった貪欲の弁士

ソウル鍾路区(チョンノグ)旧日本大使館の向かい側に設置された”平和の少女像”。 [パク·ヨンデ東亜日報記者]
正義連事態をどう見ればいいのか。 会計が問題だが、30年運動の成果を認めなければならないという人もいる。 他の誰は正義連が慰安婦被害者に適切な支援をしなかったと強く叱責する。 両者は程度の差はあるが、大体”資金問題”が正義連事態の核心だという立場を共有する。

もし資金執行が透明だったなら、正義連の活動は社会的に支持されるべき運動だったのか。 そうではないと思う。 会計のためではない。 正義連の運動は韓国社会の反知性的な行動の結果物であり、ひいては運動を自分の組織を金と権力に両替するマーケティングだからだ。

正義連の運動は’慰安婦敍事’という強力な象徴資本に基盤している。 慰安婦敍事は’純潔な少女が性奴隷として連行された’の極端的な悲劇、ここにまた’彼女たちは沈黙を破って闘士になった’との劇的な反転を追加する。

ここに強い吸入力がある。 まず、韓国社会特有の反日主義と’性奴隷’という悲劇が結合したので一般的かつ爆発的だ。 また”苦難-覚醒-闘争(そして勝利)”という構造は大衆が渇望しながらも親しみやすさを感じる敍事である。

数多くの慰安婦の実存を単一な敍事に縛り付け

慰安婦叙事はタブーとなって権力となり、正義連は叙事の主体として君臨してきた。 正義連運動の最大の問題は、特定の叙事を強要し、偶像として崇拝させたということだ。 それで半知性的で反動的だ。

正義連は、”運動を始めた時から、当事者を代弁する”という名分を掲げた。 しかし、当事者の多様な声を暴力的に裁断したのは、むしろ正義連だった。 1997年、挺対協はアジア基金を受け取ろうとする慰安婦出身の女性に”アジア女性基金を受けた場合、志願して行った公娼になること”と脅した。 また、正義連は、自身の活動を強く叱責していた慰安婦シム・ミジャ氏を被害者名簿から除外した。

2004年ムクゲ会慰安婦女性たちは、挺対協を”歴史の舞台に物乞いに売って、腹を肥やしてきた悪者たち”と批判した。 2020年、李ヨンスは正義連の水曜集会に参加しないと公言し、組織の解体を主張した。

このように正義連は、数多くの慰安婦の実存を単一な敍事に連結させて展示した。 当事者が拒否する運動を当事者の名で行なった。 甚だしくは自分の必要によって当事者を削除までした。

組織の指導部は内閣と国会に進出

5月11日正義連は記者会見を通じて自分たちの運動は、慰安婦支援だけに限定されないと明らかにした。 しかし、正義連が慰安婦の叙事を独占しなかったら、多様な運動が成長できるだろうか。 数多くの行事と記念館を通じて組織の地位を高め、その結果、組織の指導部が内閣と国会に進出した。

それだけではない。 正義連はその敍事を象徴資本にして現実の貨幣を稼いだではないか。 政府や企業·市民から受け取った金は銅像となり、ペンションと疑われる高級な憩いの場となり、学生運動家の子どもの奨学金となった。 甚だしくは子供の留学資金とマンション購入代金の出所という疑惑まで起きている。

結局、正義連は他人が経験した悲劇を恣意的な敍事に加工·独占して象徴資本を作り、これを再び自分の富と権力に両替したのだ。 そんなに組織を豊かにすることが時は従軍慰安婦、当事者はどうだったか。 少女像がマフラーと雨具を巻いた時に生きている慰安婦は温水マット一枚さえなかった。 慰安婦のため、購入したという憩いの場を当事者はマスコミを見て初めて知ったと言う。

さらに、正義連は死んだ慰安婦まで運動の燃料として消費した。 慰安婦AIを作って自分好みの叙事を再現する装置で捕獲しようとし、ウガンダに実体のない金復東センターを建設するとし、後援金を集めた。 慰安婦の葬儀に支出した記録はあるが、金を受け取った互助会社はない。

慰安婦の声に自分たちの欲望を塗り付け

日本軍慰安婦被害者李ヨンスさんは、25日、大邱(テグ)インターブルゴホテルで開かれた記者会見で”挺対協は罰を受けなければならない”と話した。 [ニューシス]
結局、正義連は”声なき者の声になる”と公言しながらも、そうはしなかった。 当事者を代弁する運動ではなく、当事者を利用したマーケティングをしたのだ。 代わりに慰安婦の声に自信の欲望を塗り付けた。 彼らは無声の存在にくっついた貪欲な弁士だった。 代弁者ではなく腹話術師だった。

象徴資本として、慰安婦叙事は’記憶’に全面的に頼る。 正義連はこの記憶を絶対化させた。 研究方法論としての口述の持つ限界を無視した。 そして”被害者中心主義”だとか”被害者の記憶が証拠”だとか言って事実と論理の領域を感性と掛け声に変えた。

しかし李·ヨンスの記者会見直後、チョン·イヨン(新理事長)および与党関係者はまさにその”記憶”を問題視した。 尹美香は記憶が”歪曲”されたとし、ウ·ヒジョン元共に市民党代表は記憶を”検証”されなければならないとし、映画監督のビョン·ヨンジュ氏は記憶を村の高齢者の”気まぐれ”程度に扱った。

慰安婦の’記憶’を武器に戦ってきた正義連(挺対協)がもうその’記憶’を否定した。 昨日まで”闘士”としてもてなしていた李·ヨンスを、今日は記憶が曖昧な”おばあさん”として扱ったのだ。 運動の自己否定であり、一貫性に対する拒否だ。 運動の基本土台を自ら根こそぎ取った. このような団体が何の運動を続けるというのか。

慰安婦問題’解決’拒否してこそ、生存する組織

正義連は常に日本政府の”謝罪”と”賠償”を要求する。 しかし、これは運動の目標ではなく、存在のアリバイだ。 例えば、2015年、慰安婦生存者34人と死亡者遺族68名が、日韓慰安婦の合意による’和解・治癒財団’の基金を受領した。 当時、挺対協はこの合意に激しく反対した。 円満な合意がなされれば、自分が存在する理由がなくなるためだ。

このような正義連の矛盾について2004年金・チョンラン博士は学位論文で”生存者たちが国民基金を受領すると、慰安婦運動は破局を迎えるだろうという恐怖”があると指摘している。 最近、千英宇(チョン・ヨンウ)前外交安保首席も李明博(イ・ミョンバク)政府当時、日韓慰安婦の合意内容を紹介し、”挺対協と慰安婦被害者の利害関係が違いがあり得ることを悟った”とし、同じ意見をまとめた。 正義連は慰安婦問題の’解決’を叫ぶが、’解決’を拒否してこそ、生存できる組織である。

‘謝罪’と’賠償’というスローガンの実質的目標は慰安婦問題の解決ではない。 絶えず”未解決”を繰り返し、韓国社会全般に広がった”植民地トラウマ”を刺激する扇動にすぎない。 そうして依然として”親日”が清算されていないとして植民地を顕在化し、これを通じて自分の存在の意味を確保しようとする。 市民社会と与党が”親日勢力の最後の攻勢”を云々した行動、李ナヨン、正義連理事長が記者に向かって”韓国人であるか”と言った発言などがこれをよく示している。

タブーに挑戦すると言って、自らタブーになってしまい、

我々は今、正義連の存在や運動が韓国社会にふさわしいかどうか、冷静に問わなければならない。 正義連は”タブーに挑戦する”と叫んだ。 しかし、自らタブーとなった。 正義連は被害者中心主義を主張した。 しかし被害者を利用する 使い物にならなければ捨ててしまった。 正義連は当事者運動を名分にした。 しかし、当事者が拒否する運動を続けた。 正義連は慰安婦問題を解決するとした。 しかし、未解決だけが組織の生存を保証する。

正義連は運動の目的と組織の生存が背馳された市民運動だ。 また、トラウマを刺激してこそ、存在の意味を見いだすことができる。 このような市民運動団体が果たして必要だろうか。

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