1953年、独島にて済州島の海女金コンジャさんが幼いアシカと一緒に撮った写真

独島の真の主人だったアシカの絶滅の原因は日本人のせいと伝われている中、70年代まで数百匹のアシカが生存したことで知られ、保護できなかった我らの過ちもいることが確認されて残念に思っている。 幸いなことは、海洋水産部(海洋部)が河川敷の復元に乗り出しているという点だ。 しかし、意欲だけで事業を進めるには物足りない。 アシカ絶滅に対する原因から正確に究明するのが順序という話だ。
東亜(トンア)日報の報道によると、昔からアシカたちの天国だったが、現在アシカは絶滅していないという。 特にその絶滅の原因は、日帝時代、日本の漁師たちの乱獲のためだというのが定説のように伝えられたが、事実ではないと指摘した。 懸念されるのは、韓日間の独島紛争が日増しに激化している時点で、歴史的真実を誤解して主張ばかりしていると、日本に逆攻撃をされる可能性も排除できないためである。 歴史的真実に接近してこそ、比較優位を占めることができるということも、やはり投影された歴史の真実だ。

これを報道したチョヨンサム記者は取材の過程で、1945年の光復以降1950年代の半ばに独島を守っていた独島義勇守備隊員たちの証言などを総合した結果、当時のアシカが少なくとも700頭あまりが住んでいたとした。 洪淳七(ホン・スンチル)独島義勇守備隊長の手記’独島がどこ土地だが、’でも正確に記録されている。 李承晩(イ·スンマン)大統領の特別指示で全数調査した結果だということだ。
趙記者は続き、1960年代、独島を守っていた警察関係者、漁民たちの証言でも数百匹のアシカが生息したということを直接聞いたことがあるともした。 1970年代序盤、独島工事の関係で出入りしていた鬱陵島の住民、チョン某さんも当時数百頭が住んでいたと伝えた。

報道を総合してみると、当時、アシカについて無知だった私たちは、アシカの海狗腎と肉を得るために銃で、網で捕獲したという。 さらに、水上に浮かんだアシカに向かって、東島の頂上で機関砲で射撃演習もしたという残念な知らせも伝えた。 アシカを捕まえてプルコギパーティーも開き、生け捕りにして鬱陵島へ持って行ったという。
独島でアシカが最終的に姿を消したのは70年代の半ばと推定している。 アシカは、日本人の大規模捕獲によって多くの減ったのだが、絶滅にはならなかった。 日本人に大虐殺の主犯という頸木を掛けることにしても絶滅の原因にまで追究するには歴史的真実が足りないという意味だ。
アシカが絶滅したなら、その原因から把握しなければならない。 いつどんなことで絶滅したのか、それとも他の地域に行ったのかなどを把握することが、復元の前にすべきことだ。 独島アシカが移動したような日本、ロシア側のアシカたちに対し、遺伝子分析もしてみる必要があるという主張は説得力を得ている。 独島領有権強化のためにもアシカ絶滅をめぐるさまざまな誤解をこの機に払拭させてほしいと望むばかりである。

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