朝鮮人徴用工、南洋群島は強制連行だったのか!
整理:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

以前、日帝時代に南洋群島へ徴用され苦労したとの話を聴いたことがあったけど、事実南洋は何処を指すのか!知らず、連行され苦労したと言うからそうかなと思っただけで苦労話の証言は疑うことはなかった。しかし、今回記事を通じてその苦労話がすべてが強制連行ではないことが分かる。
今のところ、その全貌を知ることは出来ないが、少なくとも全部が強制連行ではなかったことは当時の記録で分る。
それと、朝鮮日報の記事は酷いもんである。
”1868年の明治維新後、日本の急速な近代化と国家発展は、日本の侵略を経験したアジアの犠牲の上に成り立ったのです。”、、、なんて。
参考書き込み
URL:https://www.facebook.com/syoung.che/posts/4410432219015971
2020年11月の朝鮮日報記事から。
日帝徴用者の息子、英文で彼らの蛮行を明白に記した。
「1868年の明治維新後、日本の急速な近代化と国家発展は、日本の侵略を経験したアジアの犠牲の上に成り立ったのです。 この事実を知らない世界の読者のために本を書きました。」
情通部公務員出身の朴哲淳(パク·チョルスン、54)氏は最近、400ページ近い英文研究書を出版した。 チャールズ·パク(Charles Park)という名前で書いた「不便な歴史:アジアに残された日本の暗い影(An Inconvenient History: Japan’s Dark Shadow on Asia)」だ。 極力感情·偏見を排し、日本のアジア侵略という「影」と、戦争が終わってもその影を光に変えようとする努力をしなかった歴史を深く考察した。
彼は日帝末徴用者の息子だ。 父親の朴ゾンオクさんは、1942年に南洋群島に連れて行かれたが、太平洋戦争が終わった後、辛うじて生還した。 朴·チョルスンさんは「日帝は正常な家庭を破壊し、家庭を築くことができた多くの人々の機会を奪った」と話した。
徴用後の家族の暮らしは、順調ではなかった。 小学校1年生のとき長兄が病気で死んだが、喪輿もなしに町の青年が背負子に板を背負って山に向かった。 中学1年生の時、父親が長患いの末にこの世を去った。 何とかソウル大学に進学したが、生計のためにマンションの工事現場とカップ工場で働かなければならなかった。
昨年、日本政府が韓国最高裁の徴用関連判決を問題視し輸出規制に入ると、ある徴用被害者が「私のせいで経済報復が起きたようでつらい」と言った言葉に衝撃を受けた。 徴用被害者を支援し、慰める「アジア平和未来財団」(仮称)を設立することを決め、孫鳳鎬(ソン·ボンホ)ソウル大学名誉教授など各界の有識者120人余りが参加した同財団は、来年発足を目指して準備を進めている。
9年前に執筆を始めた今回の本も、世界にこの問題を知らせる作業の一環だ。 「ヨーロッパ留学時に見ると、西欧人は日本を自国と似た先進国と考えるだけで、日帝の残虐行為とアジア人の苦痛についてはよく知らない」というのだ。 彼はこの本の販売収益金を日帝侵略の被害者たちを助け、アジアの平和を増進するために使うと述べた。

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