ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

ウィキペディアから

あの絵は朝鮮通信使が鶏を盗んだ泥棒を意味するのか?

以前、フェイスブックにそうじゃないだろうと思いながら否定も出来ないと紛らわしい気持ちを述べていたが、その後通信使に関する資料を読んで見て色々考えてみると、鶏泥棒だぅた可能性は高いと思い始めた。
だが、通信使が泥棒だったかと言うとそうではないと思う。
これを理解するには相当朝鮮や韓国の風習を理解せんと単なる泥棒だ!そうじゃないんだ!で終わるだろう。
通信使の人員構成は概ね4~5百名程度の大勢で構成されたという。官僚だけじゃなく、芸を持つ人まで構成されたというから、言わば支配層と被支配層である賤民まで含まれているから本当に幅広い。
その身分が低い人たちが江戸時代の鶏を盗んだ可能性は高いと思われる。
彼らにはそれが悪いことだと思ってなかったかも知れない。
朝鮮時代どころか!80年代にもそんな認識を持っていたから。
自分が20代の80年代後半であると思うが、お正月にみんな里帰り、友たちと久々会って一杯飲みながら隣の村でへ行って鶏を盗もうとした。それで夜中トラックに乗って隣の村へ行って鶏を一羽盗んで夜中調理して食べたことがあった。それが己にとっては最初で有り最後だった。
勿論、鶏一羽を買えるお金が無くて盗んだ訳ではない。古くからの悪いと言えば悪い伝統と言う認識で有ったので、、
以降、韓国も経済力が上がるにつれそんな風習が無くなりつつ泥棒であると認識し始めた思う。
幼い時、村には軍隊の部隊があって夜警備に当たっていた。その兵隊さんたちが犬を一匹ずつ取って食ってしまって、後村には犬が姿を消す事態になった。村人たちもある程度目をつぶったが、あまりにも酷かったので軍部隊に抗議し、兵隊さんたちは真冬に裸で海へ入ったり出たりと厳しい罰を受けたのである。
その行為が犯罪であると思ったら、海へ入るくらいの罰を受けなかったはず。
韓国にて、歴史教育を受けたのだが後で考えてみるとそれは支配層の歴史が中心で庶民の暮らしについてはあまり学んでないと気付く。それで、朝鮮時代の庶民の暮らしについて資料を読んで見るとあまりにも酷かったのをしり憤りを感じたことがあった。その生活は支配層に絞られて貧しい人が多かった。それで、多少経済的に余裕があった人たちはそういう人たちの泥棒に対して目をつぶって大目に見てあげたんじゃないかと思う。逆に貧しい人たちはそういう風で命を繋げてきたとも言える。
韓国の80年代ところか!来日して日本では日系ブラジル人から聞いた話では、その国は泥棒が多すぎて日本の方がいいと言われたことがあった。また、去年のある日、会社にてたまに電話を出る時があるけど、警察署から電話がかかってきて、我が社の人はこの警察署におるけど万引きで捕まっているからと言われ束社長に緊急連絡したことがあったけど、その人は某国の研修生だった。その時、え~と思った。
ただ、泥棒や万引きは経済力が上がると無くなるかと言うとそうでもなさそう。勿論、その比率はぐっと下がるのであるとは思うけど。