ライター:斉藤隆司(香港在住、自営業)

韓国明洞

1954年のソウル・明洞。右手に見える明洞聖堂によっておおよその位置関係が見てとれる。

何の変哲もない昔の写真、と思うかも知れないが、自分には衝撃的な一枚だ。日本人が引き揚げて9年というのに、一帯は全て日本式の家と建物しかない。朝鮮式の韓屋と言われる建物は皆無。ほとんど日本人が住んでいたこの一帯が、朝鮮戦争を挟んだとは言え、日本人が残したままの姿であること。韓国人は「日本人が朝鮮から収奪したものを取り返しただけ」というのだが、日本人による投資と経済活動が朝鮮人にもたらした果実を全く無視した暴論だ。
1965年の日韓条約で日本は韓国に残した資産を放棄し、その経済的価値に加えて無償有償7億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)の資金供与を行った。電気・上下水道、鉄道、港湾施設等の社会資本に加えて、工場、生産設備、個人が所有する家や自動車、宝石や貴金属、全てを奪われ放棄させられたにもかかわらず。
日本人から財産をすべて奪った上、「慰安婦」だ「徴用工」と今だに補償を要求するなら、日本人も韓国に残した個人所有の資産の返還と、引き揚げの過程で行われた朝鮮人の暴力に対して損害賠償補償を行うべきだ。1945年から46年にかけた一冬でどれだけの日本人が朝鮮で死に追いやられ、婦女子が強姦されたか、そうした歴史も直視すべきだ。