ライター:Jin Kaneko

昔はお祭りの露店でこのような人たちをよく見かけた

台湾や朝鮮半島出身者たちは、日本人として日本軍兵士として戦いましたが、戦後一方的に日本人ではないとされて、軍人恩給を受けることはできませんでした。

>>これについて、長くなりますが、私の理解で補足します。
 戦前・戦中の日本の「軍人恩給」は、これを軍国主義の温床の一つであるとするGHQ指令によって1946年2月に廃止されました。
 「軍人恩給」が復活したのは1953年です。その前年の1952年4月には「戦傷病者戦没者遺族援護法」が制定され、戦傷・病者と戦死者の遺族に対する補償制度もできました。
 問題は、朝鮮人・台湾人の国籍離脱と、こうした国家支援の自国民中心主義が重なったことですね。
 1947年5月に日本国憲法が施行されました。ご存じの通り、その第25条には「すべて国民は文化的最低限度の生活を営む権利がある」とされました。これが生活保護制度にも関わっていますが、ご注目いただきたいのは「すべての(日本)国民は」です。日本国民ではない者のこの権利は憲法で保障しないということ。
 ちなみに、これは日本特有の憲法・法の欠陥ではないです。どこの国の法も同じ。他国民の権利を保証し、国家がその権利行使に応える義務を負うなどと規定する憲法は世界に存在しないです。アメリカ国民はアメリカという国家・政府に、韓国人は韓国という国家・政府に、日本人は日本という国家・政府に、その権利を行使する際、それぞれの政府に、その権利に応えることを要求しなさいということです。
 そういうことで、前述の復活軍人恩給や「戦傷病者戦没者遺族援護法」は、日本国民を対象にしたものになった。
 一方、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約発効して日本が主権を回復すると同時に、在日朝鮮人や台湾人の日本国籍は剥奪され「外国人」になりました。
 この日、日本政府から以下の内容の通達が行われました。
「朝鮮人及び台湾人は、内地在住者も含め、すべて日本の国籍を喪失する。さらに、朝鮮人及び台湾人が日本の国籍を取得するには、一般外国人と同様、もっぱら帰化の手続きによることを要する」
 そういうことで、彼らは、この日に公布され即日施行された「外国人登録法」の対象になったわけですね。まあ、終戦直後、「われわれは日本国民ではなく戦勝国の国民だ」と言っていた在日の願いがやっと実現したとも言えるのだが。
 日本国籍を喪失した在日朝鮮人は、便宜的に「旧朝鮮籍」に移動。その後、希望者が「韓国籍」に移動、韓国籍への移動を拒んだ者が「旧朝鮮籍」(北朝鮮国籍ではない!)という状況が今も続いているわけですね。
 問題は、日本国籍から離脱した在日は、軍人恩給の支給対象、「戦傷病者戦没者遺族援護法」の適用対象になるかです。
 ならなかったのです。
 ですから、盛十和子さんのおっしゃる通り「台湾や朝鮮半島出身者たちは、日本人として日本軍兵士として戦いましたが、戦後一方的に日本人ではないとされて、軍人恩給を受けることはできませんでした。」ということになった。
「戦傷病者戦没者遺族援護法」では、「日本国籍」を有していた在日朝鮮人を戸籍法の適用を受けないものとして法施行時(1952年4月30日)に排除しました。
 この措置に対して在日朝鮮人日本軍元軍人・軍属は、1952年に「元日本軍在日韓国人傷痍軍人会」を結成
し、日本人と同等な国家補償を求める運動を開始しました。しかし、この運動は、日本国内の日本人だけでなく、在日社会においても、また韓国本国でもまったく支持を得ることができなかった。
 日本人は、彼ら「元日本軍在日韓国人傷痍軍人」は韓国国民なので、韓国という国家・政府が応えるべきものと考えた(ドイツの戦後補償もその考え方ですよね)。また在日社会や韓国本国では、彼らは元日本軍軍人なんですね。彼らの苦衷を理解することが心情的に難しいというのもあったでしょうし、自分に関係ない問題というのもあった。