解説:鄭安基(経済博士、韓国近代史専門)
本文整理:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

鄭安基博士の解説、金九暗殺の真実

金九については広く知られているので詳しい説明は省くことにして、彼のテロに関するところを簡単に整理すると、初めて金九が人を殺したのは1896年3月9日、李氏朝鮮の黄海道安岳郡鴟河浦で、日本人商人・土田譲亮の強盗殺人死体遺棄事件。そして、かの有名な尹 奉吉(ユン・ポンギル)起こした上海天長節爆弾事件、また、李 奉昌の昭和天皇の暗殺を試みて桜田門事件まではしっていたが、今回新たに知ったのは、上海臨時政府の時に日本の手先だった朝鮮人がフランス租界近くに来ると捕まえて暗殺したと言うが、その人数が30人余名に達するんだそうだ。

次は、鄭安基氏の資料と大韓民国史の資料を総合し、何故金九は殺されたのかについてまとめる。

金九を殺した安斗煕は誰!
1.犯人(安斗煕)の身分関係
ア) 本籍:平安北道龍川郡東下面龍山洞240番地、現住所:ソウル市中区太平路40番地の2、所属:陸軍野戦車砲兵団(連絡将校)、軍番:12970番、階級:陸軍少尉安斗熙、1917年3月24日生まれ(当33歳)
ロ)学歴
1876年 東京明治大学専門部法科3年中途退学
ハ) 経歴.
10) 1948年12月7日陸軍士官学校入校
12) 1949年3月7日陸軍士官学校卒業、少尉任官、野戦車砲兵団配属
ホ)資産の程度:現在は皆無だが、本籍地に實父名義で500万ウォン程度の不動産を所有していたが、共産政権に全部没収されたという。
ヘ)宗教関係:無
四) 思想及政党·団体関係:思想は右翼に属する者と推察される。 政党関係は韓国独立党秘密党員である(1949年3月中旬頃入党手続き完了、同年4月14日付秘密党員証交付)。 韓国へ渡る前、北朝鮮民主党員だったが、越南と同時に自然離党、西北青年会員だったが、韓国軍入隊により自然離脱

(1) 犯人と金九先生との関係
① 犯人の安斗熙は少年期から金九先生の英雄的で愛国的な人格を崇拝敬慕してきた者で、解放後に金九先生に接触する機会を得ようと心中期を過ごしていたところ、1949年2月下旬頃、韓独党員である洪鍾萬の斡旋で韓独党員になることを決心し、同人の紹介で韓独党組織部長の金学奎と面会、同年3月末頃に入党手続きを完了した後、金学奎の紹介で京橋莊を訪問、金九先生と初顔を合わせた後犯行当日まで6回に面談した。

(3) 犯行の動機
犯人の安斗熙は、前記のように金九先生と接触し親近感を抱くようになり、彼の政治路線ないしはその精神に対して疑心を抱くようになり離党を意図したが、離党後にテロの危険性を憂慮し、このようなそそのかされて行動すると重大な罪悪を犯すことを悟り、これに関して最後的に金九先生の真意を打診した後、金九先生の政治的悩みを解決する重大決心を抱擁し京橋莊を訪問、金九先生と面接中これまで疑問に思っていた社会の諸種事件の背後に金先生が存在していたのを確認し論争になり瞬間金九先生を殺害した。

史料大韓民国史
url:http://db.history.go.kr/item/level.do?levelId=dh_013_1949_07_21_0080

安斗熙、金九暗殺の真実(2)(ユーチューブ動画)
url:https://www.youtube.com/watch?v=LrW8JtPt_H0