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李 宇衍(イ・ウヨン) 大韓民国の経済学博士。落星台経済研究所研究委員。李栄薫編著『反日種族主義』の共同著者。

ラムザイヤー教授は彼の論文で慰安婦と慰安所の関係を契約で把握した。 いまだに騒いでいる韓国と米国の研究者に対する批判の核心は、彼がこのような関係を立証する契約書、契約の内容が書かれた「紙(!)」を提示できなかったということだ。 このような批判の背景には合意の内容を必ず文書で残す欧米の契約文化と口頭契約に依存度が高かった韓国の間の違いに対する不理解がある。

契約書がないという批判は、契約自体がなかったという信頼に基づく。 「契約がないのに契約書があり得るのか」と追及しているのだ。 これにはそれだけの理由がある。 ラムザイヤーに対する批判者たちは共通的に朝鮮人女性が慰安婦になるきっかけは彼女たちが慰安所と結んだ契約ではなく、日本の軍人、警察、管理などによる”強制連行”だと確信している。 「強制連行」だったから、なぜ契約書や契約を語るのかということだ。

河野談話,国連報告書,アムネスティ報告書が証拠になるか?

彼らには自分たちの「確信」を裏付ける根拠が山積しているという。 △”被害者”である旧慰安婦たちの”証言”、△”加害者”である吉田淸治の”告白”、△1992年に吉見義明教授が発見した”強制連行”を指示したという日本軍関与文書、△1993年に日本政府が”謝罪”を盛り込んで発表した河野談話、そして△1996年UN人権委員会のクマラスワミ報告書などエムネスティ、国際法律家連盟(ICJ)のような国際機構の各種調査結果がそれだ。 しかし、彼らの信頼と違って、このすべての”証拠”たちの中で、現在までに最終的なものと残っているのは、昔の慰安婦たちの”証言”だけだ。 その他のすべては、虚構であったり、専らこの「証言」に基づくものであるからである。

▲、吉田清治は韓国まで来て慰安婦狩り、拉致を”告白”した。 当時、これを報じた京郷新聞1992年8月12日付。
▲1992年1月11日、朝日新聞は吉見義明教授が慰安婦募集過程に日本軍が関与した文書を発見したという1面記事を出した。 しかし、該当する文書は慰安婦を募集している委託事業者指定時に軍の威信が落ちないように気を使わなければならないという内容で、むしろ不法慰安婦募集を警戒することだった。

国際機関の報告書はそのすべてが昔の慰安婦たちと吉田清治の証言、日本軍関与文書、河野談話に基づいている。 まず河野談話はほとんどすべての人が「被害者と加害者の証言があり、これを客観的に立証する日本軍の文書がある」と確信する状況に押されて日本政府が作成したにすぎない。 そして1993年以降、関連する日本軍の関与文書は結局、「強制連行」と無関係であることが立証され、他の文書は発見されなかった。 また、吉田氏の「告白」が「創作」であることが明らかになり、日本でこれを集中的に報じた朝日新聞は、発行部数最大を誇るその名声にふさわしくなく、吉田氏に関するこれまでの報道をすべて取り消さなければならなかった。 ちらっと見て証拠が山のように積まれたように見えるが、反論され、実際には昔の慰安婦の証言だけが残っているのが客観的な現実だ。

それでは昔の慰安婦たちが言う”強制連行”は信頼できるか? 彼女たちがカミングアウトをした1990年代初めの証言は「強制連行」とは無関係だった. 慰安婦になったきっかけを朝鮮人による”就職詐欺”や親による”人身売買”と証言した。 ところが、それ以来、慰安婦問題が韓国の社会、政治的問題になって、韓日間の外交問題に飛び火すると、証言が変わった。 「強制連行」を言い出した。 「証言」が政治的に汚染されているのだ。 一例を挙げてみよう。

強制連行か。信じられない昔の慰安婦の証言

現在、韓国の国家元老への待遇を受けて自分を独立運動家の様にされる昔の慰安婦である李・ヨンスさんは1992年8月15日、KBS TVに出演した。 司会者がどのように慰安婦になったかを聞いたら彼女は次のように答えた。

「あの時私は16歳だったのに、まともな服がなく着ることもできず、食う物もない状態で、ある人からワンピースと靴を持ってきてくれました。 それを渡しながら行こうと言われて、それを受け取ったので、その時は何も知らず良かったのでついて行きました」。

慰安婦業者が行った典型的な誘拐事件を話している。 そうした李ヨンスさんは2007年2月16日に米下院慰安婦被害者聴聞会に証人として出席した。 彼女は次のように「証言」し、米下院が日本を非難する決議案を採択するのに大きく貢献した。

「兵士と、その女の子と一緒に入って来て、肩をこのように取り囲み、片手で口をふさぎ、兵士は後ろから背中に何かをつっつきながら、そのまま連れ去られていきました。 夜、(私は)歴史の生き証人です」

昔の慰安婦たちの”証言”の一番目の問題はこのように一貫性がないという点だ。

さらに重要な問題は,彼女たちの証言を立証する客観的証拠が何一つないということだ. 日本の官憲による「強制連行」を示す公的文書は見つからず、民間人を含めてそのような事件を目撃した第三者(家族、知人、隣人など)が残した記録もなく、そうした証言も出てこなかった。 強制連行論者たちは、慰安婦たちが何と”20万人”がそんなに連れ去られたと主張し、この30年間証言を立証する証拠を何ひとつも提示できなかった。 したがって私たちは彼女たちの「証言」をもはや信頼できない.

ラムザイヤーの非難の先頭に立ち、テレビを通じて韓国で有名になったコネチカット大学歴史学科のアレクシス·ダードン教授は、「主張を裏付ける書類がないなら、証拠がないなら、その主張は真実ではない」と語った。 加えて「無惨で」「典型的な」「詐欺」と言った。 それなら、昔の慰安婦たちの”証言”はこのダードン教授の基準を通過できるのか問いたい。

当時の現実と慰安婦契約の実状を知ってこそ

日本官憲の”強制連行”でないなら、朝鮮人女性が日本軍慰安婦になることはどんなきっかけ、経路だったのかな? まず、朝鮮人斡旋者が、いい仕事を紹介するとして(就職詐欺)、慰安婦として働くことになるという事実を知らせず、女性やその親を誘って連れて行ったり、売ってしまうことがあった。 この場合には慰安婦の雇用契約が不要で、前借金が支給されていなかったり、慰安婦の場合より、小額だったのだ。 しかし朝鮮で就職詐欺を含む誘拐は戦前から警察の取り締まり対象だった。 当時、朝鮮で数千人の職業斡旋業者が広く暗躍していた。

また、女性を連れて朝鮮から出発し、海外軍駐屯地の慰安所に至るまで様々な公的書類が必要だった。 まず、中国や東南アジアなどへの旅行者は旅行の目的などを記入し、警察署長が発給する「身元証明書」が必要となる。 特に慰安婦の場合、手続きはさらに厳しかった。 女性と慰安所業者が一緒に作成する申請書とも言える「臨時酌婦營業許可願」、写真2枚、戸主と女性の本人が捺印した就業承諾書、以上の関係者の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成または発給してもらえなかった)、そして日本領事館職員が女性の慰安所就業者の有無などである。 就職詐欺で女性を連れてきたり拉致したりした時、このような書類を用意することは不可能だっただろう。 (李承晩テレビ)日本では自発的な契約だったけど、朝鮮では強制連行だって?

誘拐された女性が慰安所に到着した後も問題が発生した。 慰安所を利用して管理を担当する部隊は、慰安婦本人たちが将来どんな事をやることになるかを事前に認知して慰安所に到着したかどうかを確認した。 以上のような書類を軍部隊で確認する手続きがあり、騙されてきた慰安所に来た女性を故郷に帰らせた例もあった。

以上から見ると、誘拐による慰安婦調達よりも、娘が何をやるようになるかをすでに知っている親が娘を売っている人身売買を通じている場合がはるかに多かったのだ。 当時、新聞を見ると、親が娘を売ることも数え切れないほど多く、社会問題の一つになるほどだった。 1920年代半ば、日本でも同様の状況が起こった。 日本の有名な皇道軍人派による1926年の2·26クーデター事件でも、妹や姉が人身売買されるほど経済的に厳しい地方出身の軍人の境遇が事件を触発する重要な契機の一つとなった。

前の寄稿文で述べたように、このような取引は、人身売買という不法、そして戸主制下の正当な権利行使と合法的職業斡旋の間の境界に位置していた。 その結果、一方では「人肉市場」といい、人身売買が横行し、社会的問題とされたが、そうした疑いで警察の調査や裁判を受けた人たちですら、ほとんどが無罪として処分された。

以上のような状況から考えると、募集業者と取引をする親は、娘がどこへ行って何をするかを知っていたとみるべきである。 文書に基づく明示的な契約がないとしても、両親がそのような事実に気付いていれば、これは我々が一般的に言う契約に違いない。 韓国と米国のラムザイヤー教授に対する批判家たちは、当時の実情をまったく知らない。

慰安婦は性奴隷ではなく、性労働者(sex worker)

慰安婦と業者の間で契約が行われるもっとも代表的な場合は、朝鮮や外地で戦争以前からすでに売春婦として働いている女性を従軍慰安婦として募集する場合だろうと言う推測を以前の寄稿文でも話した。 以上のような状況をよく描写した証言がある。 資料は1945年初め、米軍捕虜になった3人の朝鮮人日本海軍軍属に対する尋問記録だ(‘3人の朝鮮人’日本帝国海軍’軍属に対する合同報告書のリスト第78号(Composite Report on Three Korean Navy’Imperial Japanese Navy’Civilians List No.78)’、1945年3月25日、朝鮮人たちに対する特別質問に対する回答(Re Special Questions on Koreans))。

▲「三名の朝鮮人『大日本帝国海軍』軍属に関する合同報告書目録 第78号

ここから出た質問は「日本軍のために売春婦として働く朝鮮人女性を募集することについて朝鮮人は普通知っているのか。 このようなことに対する平凡な朝鮮人の態度はどうか。 「あなたたちはこのような騒ぎや摩擦について知っているか」であった. 回答は次の通り。

「私たちが太平洋で見たすべての売春婦は志願者(volunteers)か、彼らの親によって売春婦として売られた人々だ。 これは朝鮮的な考え方だが、日本人がもし女性を直接的に「徴発(direct conscription)」したら、朝鮮の年寄りや若者は激怒して立ち上がっただろう。 男性たちは怒り、何が起こっても日本人を殺害したはずだ」。

この答弁は第一に、”強制連行”はなかったし、あり得ないという点と併せて、第二に、親の人身売買や売春婦の転職または一般人の就職が軍慰安婦となる一般的な経路だったことを語っている。 慰安婦になる過程の実状に対してこんなに総合的な内容の証言を、筆者はまだ見なかった。

慰安婦募集方法で、両親の人身売買や売春婦の転職が中心なら、やはり慰安婦、自分や彼女を代わりにした両親と業者が経済的契約を結んだと考えなければならない。 慰安婦は性奴隷ではなく、性労働者(sex worker)だった。 性労働のために斡旋業者や事業主と契約を結ぶことは、我々が日常的に目にする労働者と経営者との間の労働契約に他ならない。

行為者がいて彼らが一定のパターンに従って行動したとすれば、それは契約当事者が契約に従って行動したものであり、これは契約の存在をいう。 これを否定するには、前借金の收受、契約期間の存在、慰安婦と慰安所間の売上げ金の分割などと一緒にラムザイヤー教授が契約の実体として言うものが存在していないことを証明しなければならない。 しかし、これまでラムザイヤー論文に対して提起されたいかなる批判も、たとえ部分的であったとしても、成功することはできなかった。

このような点から見て、筆者はラムザイヤー教授の論文が韓国をはじめ世界の学界が慰安婦問題に対して、新たに本格的に討論できる良いきっかけになると確信する。

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