ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

梁 葉津子(著)
冷たい豆満江を渡って、 「帰国者」による「脱北」体験記
事実、幼い時から反共教育を受けて北朝鮮の実情を知ってる者として、また、韓国で脱北者で作る番組を見て既に沢山知ってる状態で、正直、支援するつもりでこの本を買うだけで読むつもりはなかった。
しかし、梁 葉津子さんはどんな体験をしたんだろうと思って読むことにした。読んで行く途中に処処で涙が先を遮る時があって胸が痛むほどだった。最後の方に氏の元気な顔写真を見て”お帰りなさい”と思わず声を掛けたくなるらいだった。
まず、韓国人の総連に対する自分の先入観を述べてみると。
(韓国人)みんなそうであるか分からないけど、総連が北送事業に深く関わっていたのは知っておらず、知ったのは何年前であった。私自身は来日してから何年たって8.15記念式典に行こうと思った。8.15の記念式は韓国にとって大きな意味を持つ記念式で、多分間違えて覚えている人(韓国人中で)も多いと思うのだが、日本からの解放を記念する式典だけじゃなく、1948年8月15日に大韓民国が建国された日でもあるので、これが真の建国日で独立・光復の日であって、これを記念する大変重要な記念日である。
それで、最初は地元総連に光復式をするのか電話で聞いてみた。すると女性が電話を出て”ア二ハンネダ(しないという意味)”と答えた。それでしょうがなく地元民団支部に電話してみたら名古屋で開催するので一緒に行きましょと言われてそれから今に至っている。
これを言うのは、私だけじゃなく、韓国で接触を厳しく制限されている総連に対して或る幻想を持っているんじゃないかと思っている。政治家たちが来日して先に総連に接触したがる傾向があると聞いたことがあるし、また韓国では経済発展により我が民族だとして朝鮮学校を支援する団体があるから。
その幻想から目覚めた私自身は総連に対する態度が厳しく一変したけど、その総連が北送事業に深く関わっていたことを知りその怒りを抑えきれないほどであった。でも、北朝鮮へ行ってしまった家族・身内の為に総連に残るざるを得なかった人たちが居たのを知ってからは我が気持ちは複雑になったのは正直なところである。
梁 葉津子さんの体験話は本に書いてある通りで、その内容について触れるより、そんな厳しい世界をどうやって生き残り脱北して日本に戻ることが出来”自由”を手に入れたのかについて考えてみたい。
まず、私が注目したいのは彼女の酒造り技術と料理腕に注目したい。
本文でいきなりトウモロコシで酒を造ったと言うので、いつどこからその技術を覚えたのか疑問に思って、何時講演会や座談会などでもし会える機会があればぜひ聞いてみたい質問である。
勿論、日本から兄の支援も大きかったと思う。しかし、それは二次的な問題であると私は思うのである。特に経済力が低い国や地域は酒が欲しいけど現実は無い。これは韓国でも貧しい時に穀物で酒を造るのを厳しく制限した時期があったし、また、北朝鮮の船員たちが工業用のアルコールで酒を造って飲んで失明したとの話を記事で読んだことがあった。その分、人間はお酒から離れないし(飲めない人もいるが)好きでしょうがない存在であろう。それを梁 葉津子さんは出来たから周りから大変好かれたと思う。また、料理が上手かったというからなおさらであろう。
勿論、お兄さんの存在は大きかったのは否めない。
梁 葉津子さんお三男は言葉が通じる韓国はどうかなと思って韓国の建設現場で働いたことがあったけど慣れず日本へ帰ったという。
これは、勿論、韓国での待遇が悪かったと言えるが、根本的な問題は、自由民主主義国家と社会主義共産主義国家と言う社会構造がとても大きな差であると思う。
自由民主義国家は基本的には競争社会で自分の力で生きて行かねばならず、それで高度な知識を身に着ける為に努力し、競争を繰り返しながらどうすれば成功するかを常に考えながら生きて行く。半面、特に北朝鮮では生まれる時から大体人生が決まっていることになり、自ら考えず指示に従って生きて行く体質になると言う。勿論その中で生きるために色々その状況に合わせて考えながら対応していくと思うのだが民主国家の人たちには到底及ばないと思う。
だから、社会主義国家が没落して民主主義国家になるかなと思いきやまた社会主義国家体制になって行くケースがある。それは自分の努力で食っていくのが面倒くさい、国が何とかしてくれと既に社会主義に慣れてしまったからであろう。
最後に、氏の日本国国籍申請が認められなかったことに驚いた。そういう面では日本は一時的帝国を成し遂げた国家であったがそれは形だけの帝国であって本当の意味での帝国ではなかった。と言える。では、あれが帝国ではないなら何が本当の帝国なんだと問われるかもしれないが、精神のついていかなかった形だけの帝国だったと徐々に思うようになった。
本来、当時国交のない国に朝鮮人とはいえ朝鮮人を、また自国民をあの地に送り込んだのは大きな間違いだったと言える。
戦後、朝鮮人日本軍出身の傷痍軍人たちのデモに笑い通り過ぎたときの首相の映像を見て怒りを覚えた。日本に居る朝鮮人が憎たらしいと思っているその気持ちは理解できんことではないけど、、、それからその傷痍軍人たちの人生はどうなっただろう。非常に気になるところである。
今回の梁 葉津子さんの国籍申請が認められなかったこと、また官僚たちのマインドを改めて確認してがっかりである。