ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

韓国生まれになると”反日感情”は付き物で、個人としてはどうにもならん感情である。その理由として挙げられるのは社会雰囲気(映画やドラマ)がそうであり教育がそうであるからである。そんな環境の中で韓国にいながら”反日感情”の罠から抜け出すことが出来た人は本当に凄いと個人的には思う。それが出来るのはネットの発達により情報が公開され広伝わったのが大きな原因であると思っている。
兎にも角にも、社会雰囲気や教育によりそんな感情が芽生えたとしても、いいものを好むのは人間本来の本能であり、教わった反日感情と目の前に見えるいい日本製品に毎日葛藤を繰り返す韓国人の心理状態が目に見えるように分る。
私自身も来日初めは反日感情から抜け出せず、段々日々の生活をしていく中、戦前の戦争関連ドラマや映画を見ながらそこに映る人たちの苦しみや悲しみを見て時には涙をぽろぽろ流しながら見ているうちに、ふと思った。
それは韓国でいう植民地期に日本が悪い日本人が悪い、のではなく、軍国主義時代に日本人も大変な時期を過ごしていたことを自然に分かって来た。それから日本を見る目が一変したともいえるけど、”あの日のオルガン”のような映画を見ると以前(来日初めの頃)の感情が蘇るし当時の為政者たちに対する怒りは収まらないのを感じる。
ストーリ、は戦前アメリカの本土空襲から子供たちの安全を確保するために疎開し、その子供たちを世話する人たちの精神的苦しみや肉体的苦痛、また愛する人と別れなければいけない悲しみを描いた内容で、大変厳しかった時代を生き抜いた人たちの暮らしがどうだったのが分る。
あんな場面を接するたびに感じるのは、国民のために存在するという天皇は何をしたんだろうと深い疑問が以前より脳裏から離れない。
歴史から見ると、1467年に起きた応仁の乱の時、
11年間権力の争いで京都は焼け野原になり天皇は安全を求めて将軍の家に逃げ込んだというのだが、天皇として乱に苦しむ民の為に何かができることはなかったんだろうか。と疑問が生じる。京都だけじゃなく、全国が二つに分かれて戦に日が明け暮れしたと言うから、戦に普通に生活が出来なかった民の生活は大変だったのが分る。戦争に巻き込まれると大きな被害を受けるのは民であるから。
1592年文禄の役、
勿論戦場は朝鮮半島だったので日本では国土の被害はなかったのだが、朝鮮では7年間の戦争で国土が荒廃し民は生計に大変苦しんだのである。日本の場合は後で知ったことになるが、ウェブで関連資料を検索してみる中に、九州の鹿児島あたりか?男性がいない女性だけの祭りが行われているという。その理由は、文禄・慶長の役の時に男性は戦場に招集され帰らぬ人になつたからだという。農業社会に於いて力仕事は担ってきたのだが、男がいない社会に女性たちはどれ程大変な生活を送っていたのか、充分分ることである。幾ら戦争ができる時代とは言えほどほどにしてほしいと思うのだが、当時の豊臣秀吉の一方的な行政に苦しむ民の為に、天皇はできることがなかったんだろうか。
第二次世界大戦のときも同じことを言える。
大陸に戦線を広げ、更にアメリカを含む太平にも戦線を広げて戦争を行い多くの人たちが動員され帰らぬ人たちが増えていく中、人手不足で中年の人たちも招集され戦場に投入されることは広く知られている。結果的には全国に空襲を受け沢山の犠牲者を出すことになった。
勿論アメリカが悪いと非難することは出来ると思うが、戦争はそんなもん。戦争の流れを感知している人であれば、ある時点で負けると予感するのであろう。その位置にいた天皇は知っていたはず。ならば苦しむ人たちのためにもうちょっと早く戦争を終わらせる働きかけは出来んかっただろうかと疑問に思うのである。
戦に苦しむ民と天皇の存在で、天皇の役目は何であろうと何時も疑問に思うのである。