ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

男性の女装姿を初めて接した時は凄く違和感を感じた。韓国でそんな光景を見たことが無かったし、男は男らしく、そんな意識があったこともあるが、後で考えて見たら、難しい専門用語は分からないけど、心と身体不一致の人たちが存在していて社会の裏で苦しんでいたとの週刊誌を読んだことがあったと思い出した。
それに比べて日本の場合はテレビでも出演出来るくらい社会が寛大であると分かった。何故、日本の社会はそんなおかまについて寛大的なのか?
それは歌舞伎をちょっと分かることである程度理解できると思う。歌舞伎では女性が演技するのが江戸時代から禁じられていたから男性が女性に扮して演技するしかなかった長い歴史があった。そういう長い歴史の中で男性が女装をしても違和感を感じえなくなってきた一つの原因になり得ると考えられる。
その歌舞伎の起源について調べて見たらそれは大変、日本の性分化が絡み合って発展し今に至っていることが分った。
安土桃山時代、出雲大社の巫女であったお国は、神社の財政を立て直すために京都へ行き、芸を披露したと言う。その姿は、男装し刀を付け、アクセサリーを飾って芸を披露する姿は当時としては破格的且つ人たちにセンセーションを巻き起こすくらいの強い印象を与えたのではないかと推測できる。
ブレークしたお国は段々人気が上がり活躍する場も広くなっていったと言うが、芸も段々刺激的になって行くので、これは江戸幕府も見るに見かねて禁止措置を取ったと言う。でも、当時の人たちはあまり娯楽が無かった時代でもあって公演が出来るよう請願して、これに負けた幕府は条件付きで許可したと言う。そこで歌舞伎は若衆、言わば未少年を女装させ公演を行った。これがまた、男色の社会問題になりまた幕府は歌舞伎禁止令を出した。それでも民衆は娯楽として歌舞伎(相当人気のあるジャンルだったらしい)が欲しくて幕府に公演の許可を求めた。多分幕府も渋々、許可を出す代わりに成人男性が演技できるよう条件を付けた。それから野郎歌舞伎が始まり、日本の文化として定着した。
野郎歌舞伎は女性が出演できないから男性が女装して出るのでそれほど違和感を感じえなくなったその歴史は長い。
お国の芸から始まったかぶきが江戸時代に野郎歌舞伎に定着し、女性役を男性が務めることになり、男性の女装は当然、或いはしがたないと言う認識が広まって行ったと考えられる。
しかし、江戸時代以前に男性の女装は広く浸透していた時代があったことは驚きである。それは人間の生きるための知恵だったと考えることが出来れば今の時代の女装も食って行く為の方便であろう。
飛鳥時代後期から始まった班田収授法で、国は民に田んぼを渡してそこから収穫された穀物を一定部分税として納めた。
この時の税は3%だったと言われているが、その税が重くて逃げる人が多かったと聞いている。しかし、3%の税はいくら考えても重いとは言えんだろうと思ったのだが、農民に課される税はそれだけじゃなく、租に庸それと兵役や運びなど働き盛りの若い衆が国に取られ田んぼを耕す労働力を奪われた民は大変な暮らしなって行く。その故に、国はすいこと言う制度を悪用し農民に高利の米を無理に貸し付け利子として50%或いは100%を課したと言う。
天皇が民を相手に高利貸し付けを行った何て今の感覚で言うとせこいなという気がせんでもないが。
税に高利貸し付けに苦しんだ農民は夜逃げに後が絶たなかったと言う。
こういう状況で、農民も生きる為に色々方法を講ずるのが当然で、そこで、男は女だと偽って届を出す。男でありながら女装した人が大変増えたと言う。当時の女性も男の2/3に当たる口分田を貰えたからそれを貰い税は逃れる賢い平安時代の人たちであっただろうが、
村の殆どが女性ばかり、国全体が女性ばかりでそういう当時の社会像を想像してみる。