彦根城

日本のお城は、昔ヨーロッパの影響を全く受けてない割に似たような役割をしていたことに不思議感を感じる。

中国や韓国ではお城と言えば石で山や街を囲んで防御する意味があるが、日本の場合は城砦といい、権力者が居住しその権力者を守るという意味があるようだ。
去年、日本のお城に関する資料を読んでみたがなかなか頭に入ってこないし理解できなかったところがあったけど、今は少し分かってきた部分はある。
水城は、内容を読んでみてもその概念がピンとこなかった。山城は直ぐ分かったけど何故?
去年、犬山城と松本城を見物したけど、その時は他の人と変わらぬ場内の展示物を鑑賞したり資料を読んでみたり天守閣に登って景色を楽しんだりしたくらいだったが、今回彦根城の場合は建物の構造を見るうちに今までお城の楽しみ方が間違っていたのを気づいた。勿論、人それぞれ楽しみ方が違うのは確かである。
建物の基本構造は、柱を立ててその柱を梁でつないで壁や天井を覆って作る。ここで重要なのは、梁を柱にいかにしっかり繋ぐかである。
他のお城も同じであると思うのだが、大きな木材を使ったのは重量に耐えるためで、それほど太い木材をどこから持ってきたか?疑問を抱いてみるのも面白いと思う。陸路で運ぶときはどうやって運んだか?ホンマに気になるとこである。
彦根城の天井を見ながら柱に梁のつなぎ目が目に入り興味が湧いてきた。つなぎ目は3パターンがあって、二方胴付き、二方胴付きに穴を開けてくさびを打ち込むタイプ、二方胴付きに穴を開けてさらに溝を設けたタイプである。
ここで気になったのが、二方胴付き加工は本来梁のサイズから加工するので断面積が小さくなる。江戸時代初期の大工たちは、言わばほぞ(枘)の剪断力を考慮したか?今思うと非常に気になるところである。さらに、剪断力を考慮したのであれば何を基準にしたか?疑問はエスカレートするばかりである。
それと、梁にかかる剪断力だけではなく、地震による揺れが発生すると梁にモーメントがかかり、剪断力よりもっと大きな力がかかることになるが、当時の大工は揺れるともっと大きな力がかかることを知っていたのか。
柱にほぞの穴を掘って梁のほぞを打ち込んで固定するが、穴に隙間があってぴったり合わないと建物はちょっとした揺れでも崩れてしまう。今は機械加工で精度の高い加工が可能であるが、昔は手で加工して組み合わせたのだから、その熟練技能は相当高かったと想像できる。