初めて韓国に行った時、教授たちが共同研究者や協業者の名前を消して自分の単独成果であるかのように、自分のクレジットだけを前面に出して独占する文化を全く知らなかった。

韓国に入って間もない時点で、私の展示をよく見てくれた教授が一人いた。 私にペク·ナムジュンとメディアアートについてたくさん学びたいと言って、その方のオフィスでスタディも何度か一緒にした。

ずっともどかしく本ばかり読んでいたので、展示というメディアでより積極的なコミュニケーションを取るよう提案し、共同作業をしようと言って展示企画案を作ってリウム美術館の韓国近代美術展示のある研究パートを担当することになった。 その時、私は舞踊家の崔·スンヒと詩人李箱(イ・サン)を提案した。

どんな機関なのかは明らかにしない。 盧武鉉政権当時、北朝鮮と交流事業のレベルで受け取った崔承喜(チェ·スンヒ)関連資料を保管する機関長と会ったが、資料を共有しないという。 もっと長く寝かせておいて値段が上がったらその時高く売るとか?
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私は、崔·スンヒはリウム美術館のようにネームバリューのあるミュージアムで照明し評価を受けなければならない人物だと主張した。 また、当時の館長も久しぶりに復帰し、意志を持って重要に推進する展示だと説明しても、固く断るのだ。

で、映像資料だけをその事務室で見せ、いくつかの写真だけを撮らせて、結局資料協力はしてくれなかった。 ドイツで住んできた私は到底理解できず。 政府レベルで公益目的で北朝鮮から共有された資料を、なぜ彼らが何の権利で独占するのか。

その時、その事務室で見た映像は北朝鮮で崔·スンヒが粛清される前、最後に残した舞踊教本シリーズ映像と公演記録だった。 その映像で見た崔·スンヒが見せてくれたその衝撃と戦慄は忘れられない。
弟子たちに振り付け動作などを指導し、崔·スンヒは自分の最後を知っているかのようにカメラの方にあるあきらめと観照的な視線を時々送った。 驚くべき衝撃的な映像記録物だった。 その瞬間気づいた。 今、私はこの作品の価値を調べているが、ここにいる人たち(リウム美術館)は崔·スンヒを閉じ込めて、自分の商売ばかりしているんだ。 突然怒りとともに汚いやり方だと感じた。崔·スンヒをこのようにもう一度殺すなんて。 崔承喜の境遇が悲しく感じられた。
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今日ふと「韓国舞踊家」崔·スンヒが「元祖韓流スター」と話す人たちを見てあきられた。 韓国人は自分と他者を区分できず、もしかしたらそれが民族主義より大きな問題かもしれない」と考えた。

舞踊家の崔承喜(チェ·スンヒ)や詩人の李相(イ·サン)は、日韓併合後に生まれた日本帝国の朝鮮系日本人だ。崔·スンヒは大日本帝国の外地だった半島出身の朝鮮人だったが、自身が持つ背景と制限を跳び越え、日本人と世界の人々から愛された。 彼らは半島が作って育てられる人物ではなかった。

それと李相(イ·サン)は肺病で死ぬ瞬間まで「千疋屋のメロン」を食べたがってついに東京で死んだのであり、崔承喜は自分をせいぜい親日派と攻撃する韓国を離れ、北朝鮮に越北し、結局朝鮮民主主義人民共和国で粛清され死亡した。

その教授は私のクレジットを削除し、リウム美術館の展示資料のどこを探しても私の名前は出てこない。

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