久しぶりに尊敬するFBFたちに一言言ってみよう。
他でもない私の若い時と-晩年は食べる運が本当にないということだ。
1950年代初めに北朝鮮の山奥で労働者の息子として生まれた私の幼い頃は、本当に耐え難い空腹の時代だった。
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ある人たちは、50~60年代は北朝鮮が豊かに暮らしていたと言っているが、北朝鮮をよく知らない話だ。 もちろん配給をしたため、お粥ほどは食べれたので仕事に出られないほどではなかった。
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こう言えば毎月配給されたから、なぜお粥を食べるのかと尋ねる方々が必ずいるので、少し長いが説明を添える。
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北朝鮮は労働者に1日700グラム、中学生500グラム、人民学生400グラム、高齢者や家庭主婦には300グラム。このように等級を分けて食糧を配給した。
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だから仕事をする大人が多い家は700gのものが多いからちょっと大丈夫だったが、年老いた両親と幼い子供が多い家は全部300~400gのものだけだから毎月食糧難に直面する訳である。
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学生くらいなると大人と同じ量のご飯を食べるので、毎食ご飯を食べるということは不可能だった。 (だからお粥にして)
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国が配給する副食物は塩、醤油、味噌がすべてだ。 それさえも足りず、醤油と味噌が配給されば、それに塩をもっと入れてしょっぱくしてこそ1ヵ月間食べられる。
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今の韓国のように野菜、油、肉が多かったら、国から配給される米はおそらく残っていただろう。
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お父さん一人で働いて、子供たち6人兄弟はみんな学生で、お母さんまで仕事ができない我が家は…朝はご飯を食べて、夜はお粥を食べなければならない兄弟みんなのお腹はいつも空いていた。
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学校を卒業して軍隊に入隊するまで昼食を食べた記憶がない。 それで私は今もアワビ粥がいくら美味しいと言っても食べない。
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苦々しいどんぐりを混ぜたご飯を食べすぎて、今でもどんぐりという言葉自体も嫌だ。 北朝鮮という社会主義社会で過ごした私の若い時は、本当に食べる運のない涙ぐましい人生だった。
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しかし中年は大学を卒業して良い職業のためだったのか。 飢える心配もなく生きてきた人生と言える。
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私の人生の晩年は今韓国で過ごしている。 食べ物があふれる韓国でなぜ”食べる運のない晩年人生”と言うのか!疑問を持つだろう。
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そう。
北朝鮮は食べ物がなくて心配な国で、韓国は食べ物が多すぎて心配だ。 これが私が住んでみた南と北の二つの制度の大きな違いだ。
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初年は食べ物がなくて食べられない悲しい人生だったし、今はおいしい食べ物が多いが、健康の為食べたくても食べてはならない幸せな悩みを抱えた晩年という意味だ。
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そういえば、晩年に食べる運がないということは、あまりにも幸せそうだ。
食べたいものを全部食べたら100kgを超えて歩くこともできないだろう。
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もし私が北朝鮮にいたら、今頃は私の両親たちがそうだったように、食べていくために、ある山奥でどんぐりを拾ったり寒さに震えながら農場の畑に出て、穂や干し菜っ葉を拾っているだろう。
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北朝鮮は今、私の幼い頃よりはるかに悲惨な生活を送る国に転落した。 北朝鮮にいる兄弟たちのことを考えると、私一人で享受するこの幸せは罪深いばかりだ。
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空腹を知らずに暮らす韓国の子供たちと老人たちはどれほど幸せだろうか。
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韓国は先輩たちが成し遂げた経済成長で、この国がどれほど住みやすい国になったか!よく知らないようだ。 自分たちが当然受けるべき幸せを受けていると感謝の気持ちを全くないように感じる。
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だから、この幸せと自由を守ろうとする者たちはだんだん減っていく。
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いや、むしろ食べ物がなくて飢えている北朝鮮を崇める政治家と若者が増えているが、その理由が分からない。
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乞食が金持ちになるのは難しいが、金持ちが貧乏になるのは一瞬だ。
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「いいことを言うつもり」だったが、何故か政治的な色彩を帯びて申し訳ない。両制度を生きた経験者の訴えを聞き流さず、大韓民国を親中従北逆賊らから硬く守ってくれることを切に願うばかり。
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2018,10,17

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