国のお金食っている人口がもう1千万人だという。 事実上、生産的な仕事をせず、ただ誰かが生産したものを国の名の下、福祉の名の下、正義の名でちぎって食いながら、血を吸うような暮らしをしてる人がそれだけ多くなったということだ。

ソウル市内を歩いていると、何の公社だの機関だのという団体の看板をよく目にする。 ものすごく多い。 いくら見ても民間企業ではなく、政府や公共の業務を委任されて処理する機関だが、そのような機関であればあるほど、市内の要地、きちんとした建物に看板を掲げている。

最近、用事があって坡州市役所に立ち寄ったら、何ヶ所も作っておいた駐車場に車がぎっしり入ってしばらく迷わなければならなかった。 平日の午前なのにこのようなさま。 2~3年前にも一度立ち寄ったことがあったが、その時は駐車場が今よりも大分少なかった。

その間、何の変化が生じたのか。 市役所から流れ出る業務、民間人が匂いをかぎ集まってくるほど国の業務がそれだけ増えたという信号ではないか。

市役所前では50人くらい居るかどうか解からないが、何の交通労組員たちが、赤い鉢巻をして、騒々しい運動の歌謡とともにまるで国が衰退する事態も迎え、悲憤慷慨するという口調で悲壮に騒ぎ立てるのも事実上同様の現象であろう。 国家から食いちぎるものが多いという。

(絵)

国家予算が無分別にそれほど緊要でないところに流れ、むしろ「悪の花」に肥料をやるのも問題だが、それよりさらに深刻な問題がある。

国家予算の配分は基本的に公正な価値評価に基づいたものではない。 予算配分で最も正確な価値評価は、結局市場で行われる。 公共の予算配分はそうではないため、いくら複雑な装置を置くとしても、縁故主義、すなわち地縁、血縁、学縁に頼らざるを得ない。 公正性を掲げたいかなる装置も結局、あの縁故主義に泥を塗ったこと以上でも以下でもない。

これが大韓民国の国民の意識と働く慣行、道徳観にどれほど深刻な害を及ぼすのか考えてみなければならない。 言葉そのまま全国民に賄賂と麻薬をやって食べさせて二度と正常に回復されにくい中毒者と障害者を作ることを文在寅(ムン・ジェイン)がやっていることだ。

数日前はソウル市内の公園に位置した、雰囲気の良い料理店に寄った。 聞くところでは、食堂の主人が全教組出身だというが、そのためか、客に対し見下ろす傾向があるという。 一言で言えば、気が強いということだ。 サービングする雰囲気を見ても、「私は孤高で高貴な人」という自意識がにじみ出ているようだ。 言葉は上品だが、その裏にある左派特有の驕慢さ。

食事を終えてからオーナーが私たち一行といろいろ話すが、自分が名高い光州(クァンジュ)出身であり、光州市民軍出身だと言って有名な政治家の名前を次々と詠む。 自分と高校の同窓生だと自慢しているのだ。

光州市民軍だったという事実に名誉な要素があることを否定しない。 しかし、自分が市民軍だったと言う心理は虚しい。 正直に言って、同志たちが死ぬ時に死なずに逃げたという話と何が違うのか。 その行為を非難することもできないが、だからといって名誉に思うわけでもない。

もっと決定的に光州市民軍だったことを名誉に思うなら、公共の資産に頼って食っていくことではない。 それ、他の市民のものを代わりに享受することだ。

市民全員が利用する公園の内部施設を借りて商売するのがどういう意味か。 いかなる手続きと名分を掲げたとしても、公共の資源を私的な利益のために使うということ、そしてそこに市場競争のほかに縁故主義が作用するという事実には変わりがない。 それが、光州市民軍の名誉にふさわしいのか。 何が自慢だと言う訳?

本当に公共の資源に頼らず、平凡な市民のようにソウル市内のど真ん中で激しく競争をした時、あなたがそのように堂々として、傲慢に、首に力を入れて商売ができるだろうか?

この国は滅びつつある。 すでに取り返しのつかない状況になっているのかもしれない。 国を崩壊に導いている「左寄り」の名分に湖南の象徴資産が積極的に活用され、湖南出身がそこに積極的に参加しているという事実が本当に悲劇的に感じられる。

ライター:チュ・ドンシキ
・マガジン”THE THIRD WAY”編集長

http://road3.kr/?p=21745&cat=118