あるFBFの左派の文化権力に比べて、右派の文化権力が脆弱か脆弱であるしかないことに対する問題意識に共感しながら、一言付け加えたい。 文化権力とは、すなわちコンテンツの生産と流通、消費の量と質で決まるということだろう。 そのような点で左派は主にコンテンツを生産、流通する側に集中してきており、そのようにコンテンツを生産、流通する左派はそれを理念のくびきから脱した、すなわち脱理念というもっともらしい包装紙をかぶせた。

一方、右派は少なくとも数年前までも政治権力と経済権力のイニシアチブを握っている中、コンテンツの主要顧客、消費者として自らをポジショニングすることに満足してきたのは厳然たる事実である。 出版業者である「私が知っている文化支援事業」の中には、政府と自治体のような公共支援事業を除いても、三星(サムスン)、現代(ヒョンデ)、LG、SK、ロッテなどの民間財閥企業から出版業界と各種文化団体へ支援されるお金だけでも莫大だ。

このように民間企業から支援される文化支援事業が、主に当該企業が相続などをめぐるオーナー一家などの争いによる社会的指弾を受けたり、違法または不法行為で司法の裁きを受ける場合、一種の「免皮用」「社会還元」の名分をつけていることに注目しなければならない。

ロッテが数年前から出版界に委託して施行する<今年の出版大賞>(正確な名称は確認してから正す)が、まさにロッテの辛東彬(シン・ドンビン)会長が経営権継承過程で発生した天倫(?)に反した行為による社会的非難を交そうと、免皮用にしたというのが業界で言われている。

そういう風に公共と民間企業から文化界に落ちるお金は80年代以降、左派が掌握し始めた文化権力をさらに強固にしてきた。 そのうえ、左派が掌握した映画版には、徹底した陣営論理によって左派が量産するコンテンツをCJをはじめとする財閥企業が加工して流通、消費まで支援するというやり方で、左派文化権力と財閥企業間のカルテルが形成されてすでに10数年目になる。

このような仕組み、メカニズムの下では、徹底的に企画され生産されたコンテンツの市場掌握力は絶対的にならざるを得ない。 左派文化権力とカルテルを形成した財閥企業が輸入した米国をはじめ、海外映画の主な消費層が右派市民社会に広範に形成されていることから、左派は財閥企業に対する統制力、つまり文化権力で経済権力を支配する効果まで上げているのだ。

整理すると基本はコンテンツの生産意志、そして実行能力が核心であるということである。 1次的なものから浅かったり、貧弱な状態で良いお客様、望ましい消費者の役割は右派の市民の役割と残るしかない。 フェイスブックを基準に見ても、フェイスブックの中でそれなりのスピーカーであり、セロップとも言える右派FBFの名前で、オンライン書店で検索してみれば、右派コンテンツがどれほど貧弱かを実感できるはずだ。 逆に左派または左寄りの観点を克服したFBF名で検索してみてほしい。 とにかく明確な違いが見えてくるから。

出版業者の立場で言うには、フェイスブックだけに残る文章と、それが本になることには大きな違いがあることを自覚しなければならない。 私がFBFたちの良い文章を選別して本に出そうとするのも、そのような理由の中の小さな努力だと言える。 日常のささやかな話でも、それは本になることができる最も基礎的なコンテンツであることに注目しなければならない。 そうすることで、左派文化権力から解放される。

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吉道炯(キル・ドヒョン)
韓国のタイムライン出版社代表