ライター:鄭安基(博士、経済学者、東アジア歴史研究家、反日種族主義の共同著者)
翻訳:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

5

 五つ目は、陸軍特別志願兵制施行の歴史的意義は何か。 従来の研究は、第2次世界大戦の帝国の総力戦という超国家的な観点から、日系アメリカ人というイメージと朝鮮人という被植民者を同一のカテゴリーのマイノリティとみなし、同一の比較の枠組みを適用して親切な人種主義に収束する政策の類似性を主張した。 しかし、朝鮮人陸軍特別志願兵制を戦時外国人収容所に隔離された日系アメリカ人に対して条件付き忠誠を強要したマイノリティの志願兵制と対等な次元の軍事動員と捉えることは、どうしても不適切である。 むしろ、第2次世界大戦期の英国のインドと日本の朝鮮という帝国と植民地レベルの国際比較がより適切だ。 第14章で検討したように、日本はイギリスと違って第二次世界大戦末期になって植民地軍事動員を本格化した。 それもイギリス領インド軍が250万人であるのに対し、わずか20万人(朝鮮人12万人、台湾人8万人)で、日本軍総動員兵力の約2.5%を占めた。
 第2次世界大戦期にイギリスと日本は志願兵制を実施し、植民地の軍事動員を推進した。 しかしインド軍は近代教育の洗礼を受けられなかったバカらしいが従順な兵士だった。 一方、陸軍特別志願兵は普通学校を卒業した中農層の次男だった。 陸軍特別志願兵の報酬は、当時の日雇い労働者とともにインド軍に比べても極めて低い水準だった。 部隊の配置もインド軍の凝集性とは異なり、高度の稀 散性を特徴としている。 インド軍は、階級よりも人種という人種差別主義を特徴とした一方、日本は、人種よりも階級という階級至上主義を追求した。 イギリスの植民地軍事動員は人種主義と物質主義を追求した反面、日本は同化主義と精神主義を指向した。 言い換えれば、20世紀の植民地軍事動員は義兵主義を特徴とした日本と傭兵主義を追求したイギリスに区別される。
 20世紀の植民地軍事動員の多様性は、日本の同化主義と英国の自治主義という植民統治の構造および特質とも密接な関連性を持つ。 日本は、同化主義の植民統治のイデオロギーを標榜しながらも、朝鮮人の低い民度と不十分な教育水準、そして義務兵役の神聖さを理由に朝鮮人の軍事動員を躊躇した。 そのうえ、傲慢と偏見に満ちた日本社会の帝国意識は、朝鮮人の軍事的資質を過小評価させた。 これは植民地で兵力資源の開発を遅らせ、1940年代の帝国の総力戦を内部的に制約する罠となった。 要するに、陸軍特別志願兵制の成立、施行、成果に着目した植民地軍事動員の日本的特質は、慎重性、消極性、未熟性を特徴としている。

鄭安基(博士、経済学者、東アジア歴史研究家)