織田信長といえば、戦国時代でも一二を争う人気の武将ではないでしょうか。桶狭間で今川義元を討ち果たし、尾張を統一。そこから天下統一に向けてもの凄い勢いで領地を拡大するも、夢半ばにして家臣・明智光秀の謀反に倒れる。まさに激動の人生です。

研究が進むにつれて、以前に考えられていたような冷酷無比な人物像は否定されつつありますが、比叡山の焼き討ちや実弟・信行の殺害といった過激なエピソードからは、激情家の一面がうかがえます。

信長が弟を殺害した理由は、弟の裏切りが主因と言われているものの、私は母・土田御前が信長を疎んじ、信行を溺愛したことも少なからず影響しているのでないかと推測しています。なぜなら、信長には乳母の乳首を噛みきるほどの癇癪(かんしゃく)持ちだったというエピソードが残っているのですが、歴女医から見れば、そんな信長の性格形成には、とあるホルモンが影響していると考えられるからです。

そのホルモンとは、ずばり『オキシトシン』です。

オキシトシンは、脳下垂体から出るホルモンで、乳汁の分泌を促進する働きをします。授乳だけでなく、赤ちゃんとの肌の触れ合いや、匂いを嗅ぐ、泣き声を聞くなどによっても分泌され、また恋人とのイチャイチャでも分泌されるため、『愛情ホルモン』と呼ばれることもあります。

オキシトシンは、ホルモンとしての役割以外に神経伝達物質としての役割もあり、母性を高めます。そしてオキシトシンは子どもにも作用し、母親への警戒心を薄め、信頼させる効果があるのです。ラットの実験では、幼少期に母親と引き離された子どもは脳内のオキシトシン濃度が顕著に低下し、成長後に協調性が無くなったり攻撃性が増したりする、という結果が報告されています。

それでは、信長の場合はどうだったのでしょうか。信長と信行の母は同じ土田御前ですが、嫡男である信長は、武家の慣例に従い乳母に預けられました。乳首を噛み切るような子なので乳母は次々と代わり、池田恒興の母(養徳院)が乳母となってからは落ち着いたようですが、それまでは愛情に乏しい状態だったと考えられます。

一方、信長の2年後に生まれた信行は、織田家の跡取りとして厳しく育てられることもなく、母親と過ごす時間が長かった可能性があります。もしかすると、母親自ら乳を与えていたかもしれません。そうなると、オキシトシンの影響で、母親は「私の可愛い信行ちゃん」状態になります。一方の信長は、乳母からも疎んじられ、母は弟を可愛がり……と愛情不足のストレスフル。ストレスはオキシトシンの分泌を妨げますので、哀れ信長はさらにオキシトシン不足に……。

ここで、先ほどご紹介した、幼少期にオキシトシン不足になったラットを思い出してみてください。周りとの協調性不足や攻撃性って、なんとなく信長像に当てはまるところがありませんか?小さい頃に、もっと母親とスキンシップをとっていたら、情緒が安定して明智光秀に冷たく当たることもなく、歴史は変わったのかもしれませんね。

日本史ってこんなに面白い!歴女の医師に聞く、歴史の面白い話
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