ライター:吉・道炯(キル・ドヒョン。ジャンスハヌソ出版社代表)
翻訳:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

ワープロが持続的にバージョンアップされている中、ある程度の正書法では入力者のエラーを自動的に修正するだけでなく、間違った文章には点線の下線が表示され入力者に文章を再確認させるなど、性能がかなり改善されてきたことを実感する。

しかし、間違ってないにもかかわらず、入力者の意図とは関係なく、自動変換されて作成される特定の単語がある。 それが「日帝時代」が「日帝強占期」に自動変換されてしまう時の話である。 ハングルワープロやMSワードを利用して日本の植民地機に関する文書を作成してみた人なら、ほとんどが経験することであろう。

崔·吉城教授と著書「親日と反日の文化人類学」タイムライン発行

ポストコロニアルを拒否する反日民族主義

日帝時代は時代区分の概念としていかなる意味・単位も排除された客観の概念と言える。 我等が日本の植民地期を理解して行く上で、客観的な距離を維持させる有用な概念だ。 しかし少し前から使われ始めた「日帝強占期」という言葉には、その時代そのものに対する歪曲とその時代とは関係なく、今を生きる個人に言葉や文書を強制する社会的暴力が同時に働いている訳である。

それなら、日帝時代が強圧と暴力の時代と罵倒されてもいいほど、そんなに非道な時期だったんだろうか。 まず、指摘しなければならないことは、日帝時代に対する否定的認識が、その時代から遠ざかるほど深刻になっているという事実だ。 特に、その時代を生きたことがなかったり、その時代と何の関係もない世代であればあるほど、日帝時代に対する否定的な認識がさらに拡大する。

当時を生きて来た世代は、特に日本が自国であり、朝鮮総督府を政府だと思って生きた世代の経験は、今の反日感情の根が啞然とするほど当時の生活と社会雰囲気に肯定的だ。 その時代を生きた世代が「それでもその時代は生きる甲斐があった」という言葉は単に食べていく問題だけでなく、誠実と努力の補償が保障される社会だったことを意味する。

若い男女が成功の機会を求めて都市に向かい仕事場を求めた。 その市は若い男女を受け入れて仕事を提供していた. 日本の植民地期はそのような時代だった。

日帝時代に対するそのような否定的且つ歪曲された理解に対して、国内で問題提起があるよりも先に問題意識を持ち、実証的研究でその時代を研究してきた学者がいる。 在日文化人類学者の崔吉成(チェ·ギルソン。教授)氏である。 1938年(戸籍上は1940年)、楊州(ヤンジュ、現在の東豆川)で生まれた崔教授は、日帝時代の風景をかすかに留めているだけでなく、韓国戦争(1950~53)当時、故郷の村を中心に繰り広げられた戦争の実情を幼い時に直接目撃したのである。

1963年、ソウル大学師範学部国語教育科を卒業した崔教授は、陸軍士官学校教官で大尉転役した後、70年前後に文化公報部文化財専門委員として在職し、第1次巨文島(ゴムンド)踏査研究を主導する。 1972年に日本に留学した後、1985年に筑波大学で博士号を取得し、帰国後啓明大学の日本学教授として在職したが、韓国での日本学研究と教育の限界を痛感し、80年代半ばに日本に留学し、1991年には日本中部大学の教授に任命された。

崔吉成氏は、韓国だけでなく東アジア全般にわたる植民地研究を通じて、植民地と帝国主義が特定し、例外的な現象ではなく当代の人類史的普遍現象であり、時代精神であることを語る。 植民の経験は独立後の該当国の国家アイデンティティだけでなく、政治、経済、社会、文化、教育など全般にわたる連続性の中で、独立とともに「ポストコロニアル」が一つの時代精神として定着することになる。

そこで例外的な一国が他ならぬ韓国だ。 韓国の高度成長と繁栄の背景には、日帝時代の遺産と日本という隣国があった。 にもかかわらず、今日ますます激しくなる韓国社会の反日感情とそれに基づいた民族主義は深刻な退行と言わざるを得ない。

日帝の遺産と親日磐石の上に建てられた大韓民国

『親日と反日の文化人類学』は韓国人の反日感情の起源とその性格について文化人類学的観点から考察·分析したエッセイ集である。 植民地時代を経験したもう一つの国家または社会を比較分析することで、日本の植民地期に対する韓国人の否定的で暴力的な理解と通説に異議を申し立てる。

また、現代の韓国建国とその後の産業化と高度成長の背景には、朝鮮総督府が施行した「国利民福の統治戦略」があることを、種籾の品種改良と優良種籾の普及事業、漁業増進、各種産業施設とインフラ造成などの背景を通じて明らかにしている。

「序文」を含めて計10の章からなるこの本を通じて、私たちは植民地期と近代に対する歪曲と誤解、自己欺瞞から始まる反日民族主義の偽善的実体と暴力性を見ることができる。 その偽善や暴力性は’親日’、’親日派’を絶えず加工しているため、反日民族主義の野蛮的アイデンティティを強化してくれていることでさらに危険だ。

2020年現在、日韓関係は最悪の状態で解決の糸口が見い出せない。 いつものように韓国人はその理由を過去を反省し謝罪しない日本、日本人のせいと言う。 もちろん、習慣性の嘘だ。 日本は1965年の国交正常化交渉から始まり、これまで天皇と歴代首相、閣僚が行った公式謝罪だけでも39回にのぼる。

最も最近の2015年8月14日、安倍晋三首相は「戦後70年談話(安倍談話)」を通じて過去史を公式謝罪した。 むろん、その度に、韓国の政権勢力をはじめとする政界とマスコミ、市民団体が声を一つにして謝罪の本気度を問い、言葉尻をとらえるやり方で卑下し、嘲弄、冒涜するような言語暴力も辞さない。 これもまた習慣性だ。

しかし、時計の針を取り戻し20年前に行ってみよう。 1998年、「国民の政府」の登場とともに日本文化が全面開放され、「2002日韓ワールドカップ」のおかげで日韓関係は例外なく改善された。 人的·物的交流が活発になり、両国民は相互訪問と観光を楽しみ、自由主義国家間の親善と友好の理想的なモデルを作った。

問題はいつものように、韓国の政権勢力と与野党を網羅した政界だった。 韓国の対日関係は、政権によって「冷湯」と「温湯」を行き来した。 韓国の政権勢力にとって、日本はいつも政略の有用な素材だ。 また、日帝時代は時間的距離が遠くなるほど、政界とマスコミ、知識人集団によって民族的恨みと被害意識が増幅されてきた。

マスコミは親日賦役の疑いが濃いほど反日感情のへぼ巫女として先頭に立った。 端的な例として、マスコミが独島領有権問題と日本の政治家たちの靖国神社参拝を非難し、政界は彼に即時に応答し、大衆の反日感情を扇動するやり方だ。

朝鮮総督府は国利民福を目指した

『親日と反日の文化人類学』では、韓国人の反日感情の起源とその偽善と虚構、矛盾と欺瞞的属性を文化人類学の観点から分析·批判する。 安秉直(アン·ビョンジク)、李栄勲(イ·ヨンフン)氏による経済史的アプローチが最近かなり一般化したのに比べると、文化人類学的分析と批判は著者によってかなり以前から行われてきたにもかかわらず、依然として群を抜いている。

著者がこの本を通じて一貫して語ろうとすることは、収奪と虐政の日帝時代ではないという事実だ。 朝鮮を合併した日帝は総督府を前面に立て、植民地国民の支持を得るための多様な政策を施行する。 日帝は植民地統治のために韓国の法、制度、慣習、宗教、文化に対する調査を実施した。

歴史学、社会学、経済学、考古学、人類学、民俗学など多くの研究者と行政家が植民地韓国の土地や財産などに関する法律だけでなく、それと関連した韓国人の風俗·慣習などについても調査·研究した。 植民地学と言えるが、日本の植民地学は西欧列強のそれとは明らかな違いがある。

それらの方針は徹底して国民と国民を対象にしている. 土地測量と整備事業がそうであり、道路と河川整備による生活環境の改善、個人と部落の衛生環境を改善し、健康な生活ができるよう広報と支援政策を積極的に行なった。

特に注目すべきことは、日韓併合前後の時期からの種籾の品種改良と普及事業である。 朝鮮合併で朝鮮を実質統治することになった朝鮮総督府は、本国政府から莫大な予算と人材、技術を引っ張り出し、多方面にわたって改革と革新を急ぐ。 中でも重点部門が種籾の品種改良事業であった。

既存の朝鮮のイネ品種は、稈が細く背が高くて風水害に脆弱である上、穂当たりの粒の数までその後改良、導入品種に比べてはるかに少なかった。 長年の土着種であるにもかかわらず、病虫害と干ばつ、冷害に脆弱だった。 そうして生産された米の絶対分さえも両班地主たちの小作料として渡せば、耕作農民たちの分は事実上皆無に等しい。

近代に向かって開かれた窓、日帝時代

朝鮮総督府は土地測量と耕地整理を通じて農地の所有関係を明確にした。 とくに地域の士林と両班、衙前によって無断で占有された土地の所有関係を整備するとともに荒れ地を開墾し、近代的な小作契約を通じて農民に耕作地を提供した。

さらに、日本から朝鮮の気候条件と土壌に合う優良稲品種を選別して持ち込んで試験栽培に成功しただけでなく、品種改良にも積極的だった。 地主だけでなく小作人まで最初は「倭のもの」と軽視、拒否していたが、小作料減免などのインセンティブなどに支えられて栽培した結果、大きな成果を収めることになる。 こうした状況を受け、全国各地の地主と農民が優良品種の普及に積極的に取り組み、1910年代半ばを超える頃には米の生産量が飛躍的に増える。

コメ増産の結果、朝鮮での需要を超えて産地より高い値段で植民本国の日本に輸出の道を開いた。 農業生産物で資本を獲得·蓄積し、投資を通じた産業基盤を造成する、韓半島の人々にとっては史上類を見ない新しい時代が開かれたのである。

日帝時代はそのように朝鮮人に近代に向けて開かれた窓だった。 しかし、日本の敗戦と日本人の帰還で近代に向けて開かれた窓が一瞬閉まるようになる状況を、著者は巨文島の事例を通じて見せてくれる。

日帝は終わったが、韓国人の日常を支配することは植民地の残滓であり、新生独立国大韓民国の社会システムとインフラは、朝鮮総督府の遺産だった。 その残滓と遺産は、戦争による破壊と貧困、政治的混乱の時期を過ぎて軍事革命で権力を握った朴正熙によって、経済開発5ヵ年計画とセマウル運動、国民教育憲章と家庭儀礼準則などに継承された。

言い換えれば、韓国の高度成長と産業化の土台は日帝時代、すなわち朝鮮総督府統治期に生まれ成長し、近代教育と文明の洗礼を受けた世代の経験と近代人としての資質がその土台だったことに照明を当てているのもこの本に注目しなければならない理由だ。

反日感情を前面に押し出した文政府の対日外交は、それだけで東アジアで韓国の孤立を招いているだけだ。 連合

コスモポリタニズムの市民意識で現在の日本と向き合うべき!

では、韓国人の反日感情の実態は何だろうか。 植民地時代がいくら否定的だと言っても、そんな中でも人は生きていくものだ。 統治しに来た朝鮮総督府の官憲や植民地に来た普通の日本人も、植民地の韓国人とともに暮らし、朝鮮の旧習を打破しなければならない反面、朝鮮人の慣習に合わせて生きていかなければならない生活人でもあった。

この言葉はすなわち、日帝時代という時空間での韓国人にとって反日感情が定着しなければならない特別な理由はなく、あってもあくまでも朝鮮人同士の問題であった可能性が大きい。 つまり反日感情というものがあったとすれば、その時期に日本人との関係の中で利益を取った者とそうでない者の葛藤、競争で押し出された者たちの憎しみと恨みの感情がその端緒に過ぎない。

著者はまた、朝鮮人の反日感情が植民地時代に対する否定的な認識だけでは説明できないと主張する。 植民地支配からの解放後、時間が経って植民地の経験から遠ざかり、ますます激しくなる韓国人の反日民族主義はそれ自体が宗教的属性を持っているということだ。

著者はまた、他の日本の植民地だった台湾と旧満州国、シンガポールなど東南アジア諸国と、英国の植民地だったシンガポール、マレーシア、インドのような国々を比較文化人類学的に分析することで、韓国社会の反日感情が他の植民地経験国または社会とは完全に違う属性を持っていることを明らかにする。

それは反日民族主義と規定され、反日民族主義は一つの信仰体系として韓国人の意識を支配するということだ。 一言で言えば、偽宗教またはいんちき宗教という意味だ。 日本が朝鮮の脈を断つために風水上の主要岩峰と血脈ごとに鉄柱を打ったという主張が端的だ。

理性的論理体系ではなく、シャーマニズムであり、偶像崇拝とタブーのトテミズムだ。 巫女と偶像崇拝は、民族的アイデンティティを形成し、タブーは旧朝鮮総督府の建物の爆破、解体という暴力的な結果につながった。

さらに深刻な問題は、半世紀をはるかに超えて日本の植民地期を経験していない世代によってさらに激しくなっている反日感情の波高だ。 著者は、日本に対する「私たちの中のコンプレックス」を越えて、開放された態度で現在と未来の日本と向き合うことを特に若い世代に勧めている。

反日民族主義こそ売国行為

むら気の反日世論を扇動し背負って対日外交を展開していることほど愚かで国際関係にて危険なことはない。

反日感情を前面に出した文在寅(ムン・ジェイン)政府の対日外交は、それ自体に東アジアで韓国の孤立を招いているだけでなく、自由世界との継続的な協力関係も難関に陥れる結果を生んでいることを知らなければならない'(pp.309~310)という忠告は著者の心のこもった祖国愛のメッセージというべきものだ。

url:http://www.futurekorea.co.kr/news/articleView.html?idxno=143180&fbclid=IwAR2r5mMYHKwP8HvwI92j-G0hfA0FMMxA6rjiQBZ5KAkXQZ8EnyHdbRP1rl8

ライター:吉・道炯(キル・ドヒョン。ジャンスハヌソ出版社代表)