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ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

亡き我が父は下士官を務めてからフルサトへ戻り生涯を終えた。軍人だった時期の話は詳しく聞いたことがないのであまり分かっておらず、周りからちょっと聞いた話としては田舎でまともに仕事をせず何かの本を読む時間が多かったと言う。今の自分の考えだと結婚したら扶養する家族がおるから一生懸命働いて収入を得る為に頑張るのにと思うのだが。確かに、当時田舎で流行った賭博や浮気をしなかったのでちょっとまともだったかなとおもいきや、それもお金がなければ出来るもんでもないし。

己が成長してから聞いた話で覚えているのは、我が姓の始まりは何時からだと言う話だ。親戚の兄さんや叔父達が結婚することになり、本貫や派と代を教えてあげたりした。これは普段は気にせず暮らすのだが結婚することになると非常に大きな問題としてのしかかってくる。相手側にまともに返事しないと結婚が出来ないくらいであるから。

己が20代の時にフルサトへ帰った時親から聞いた話であるが、隣の村にお兄さんの友人がいて結婚することになったとき。相手側から本貫を聞かれたそうで、この友人の親は西側からやって来て地元に定着し暮らしていたが友人が結婚する前に亡くなった。それまでは何も気にせず暮らしていたが結婚することになり相手側から本貫を聞かれたら答えようがない。それで我が村の同じ姓氏の本家に行って自分を族譜に入れてもらうようお願いしたと言う。でもその本家はそう言われても相手の立場は可哀そうであるが入れるのは困るのである。根本も知らぬ人をそう簡単に入れるのも行かない。その友人は何日間を泣きながら哀願したそうだが結局入れてもらえず足を後にしたそうだが、結婚したかどうかは知らない。(確認は出来るけど)

年度かは覚えてないけど、20代のあるお盆の時にフルサトへ帰って、盆当日に親戚が皆集まった時に親父から族譜(正確には家牒)を作ったとして皆に配った。勿論製作費は門中のお金であった。親父の説明によると、上の3代が独子で続いて来て、幼い時に親が亡くなった代があり、お墓の数が合わず誰の(何代)お墓か知らず、そのお墓を何度も確認し家牒を作り上げたと言う。族譜は読み方を知らないと何が何だかさっぱり知らない。
その場で読み方まで教えてもらったのだが当時はあまり関心を持たず。今考えてみるとそれ作ったのは凄いなと思うのは何故だろう?

自分が持っていた家牒は紛失したことになり、釜山の従兄の兄さんに持っているか確認したところ持っていると。
それをコピーして自分の家牒を作って子供に譲ってあげようと思うのは何故だろうと疑問に思うのだが!

韓国映画:族譜(족보)