ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)

南果歩さん

南果歩さんについては殆ど知らず、以前nhkファミリーヒストリーを観たら偶然南果歩さんだったので見ていたら在日でお祖父さんの話をしていた。

番組によると、祖父は剣道具職人であったが、貧困から1937年に和歌山市に移住、1940年家族を呼び寄せ、京都市に転居し、終戦後、尼崎市の在日町に転居、大阪市で廃物商を営み1981年死去と言う。
そして、南と言う性氏について話が進んで行き、韓国の風景が先に画面に映るので、、、あれっ!何か結構み慣れている風景だった。そしてナレーションで韓国の地名が出てくるのだが、何とフルサトの隣の村(港町)だった。
おー!日本でフルサトの風景を映像で見るなんてちょっと興奮した。
韓国の南(ナム)氏の始祖は新羅時代まで遡る。
当時、中国の唐時代に金忠と言う人が使臣として日本へ行って帰りに台風に遭遇し漂流して助かったのがフルサトの隣村だったと言う。新羅朝廷はこの事実を唐に知らせたら、本人の意思に任せると言われたので、本人(金忠)の意思を確認したところここに(新羅)に残ると。新羅はその人に南から来たので”南”と言う性を与えたのが始まりだと言う。
番組は凄いことに金忠の存在を確認するために中国まで行って確認したところその人の存在が族譜に残っていた。
望郷台

朝鮮後期に子孫が金忠(南の始祖)が助かった地域の官吏として赴任し山に”望郷台”と言う碑石を建てたのがまだ残っている。

幼い時の故郷は、貧しい田舎でバナナやケーキの存在すら知らずに過ごした。その後、経済発展と共に海岸に観光道路ができ今は有名は観光地として全国に知られていると言う。時代は変わるもんだと実感する!
今現在、韓国の釜山から北へ海岸鉄道を建設中だそうなので出来たら是非、行くつもりである。
途中バスに乗り換えて海岸を走る景色は素晴らしいもんである!
望郷台が建てられている山の前景
フルサトの海岸前景