ライター:jin kaneko

釜山旧百済病院。 釜山初の近代式個人総合病院として1927年に建設された。 近代建築様式を備えた建物で歴史的意義があり、内部は木造構造である。 1階は現在カフェとギャラリーとして利用され、登録文化財第645号に指定されている。 [写真=釜山市]
韓国に於ける敵産と言うのは戦後朝鮮半島にてアメリカが日本の財産(私有財産を含め)を接収したことを言う。(注:崔榮黙)

(戦後朝鮮半島に於いて、日本人私的財産の米軍による取り扱われたのは)米軍の国際法違反です。しかし、米軍の違反についてはサンフランシスコ平和条約の第4条で法的に手当てした。あれは違反だけれども、アメリカに文句を言うことはできないということになった。
同条約の4条(b)の条文が以下。
「日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。」
別の言い方をすると、アメリカにも米軍が朝鮮で国際法違反をやらかしたという自覚があった。それでやヤバいと思って、サンフランシスコ平和条約の第4条に、b項の条文を追加した。
アメリカ軍は朝鮮の日本人の財産を接収した。この行為が国際法違反ですが、サンフランシスコ平和条約で、日本はこの行為とこの行為がもたらした結果を受け入れました。
ややこしいのは、在韓米軍は接収したが、米軍に所有権を移転したわけではなかった(米軍は接収はしたが、その資産に手をつけなかった)。
 しかし、米軍はこの接収財産を韓国政府に移管した。韓国政府は自分の財産になった(所有権が移転した)と解釈して、韓国国民に払い下げてしまったわけですよね。これがとんでもない額です。
 日韓交渉が始まって、日本政府から「米軍が接収した日本財産の移管を受けたのだろう? あれ返して。そちらが行使する請求権と合わせて清算しましょう」と言われて、韓国政府は慌てふためいたわけですよね。
 日本に賠償金を要求し、それが受け入れられたとしても、韓国側のほうがトータルでとんでもない額を日本に支払わないといけなくなるということが起こり得たわけですね。当時の韓国の総資産の8割以上という試算があるようですから、韓国は独立後数年で国家破綻した可能性があった。
 日本が請求権協定で支払った数億ドルのほうだけが注目されているけれども、メインはこちらの韓国が日本が残した資産をタダで手に入れることができたことのほうです。これが当時の韓国側の交渉担当者の最大の手柄です。銅像を建てまくって賞賛しないといけないほどです。
米軍が接収した日本資産は在韓アメリカ軍政庁から韓国政府に移管された。これにより、この日本資産の所有権が米軍から韓国政府に移った--韓国政府はそう解釈して、最初は、日本政府は何を言っているのかと笑ったわけですね。しかし、よく考えてみると、そんなに単純ではないわけです。
韓国政府は米軍との取り決めで所有権を主張したわけだけれども、国際法上は、その日本資産の所有権は、元の持ち主の日本国民や日本政府などから移転せずそのままになっているわけですね。日本(人)の所有物を、米軍と勝手に相談して処分してしまった。--日本側にそう言われても、反論が難しい。
1950年代半ばまで、請求権の問題の交渉はこれでずっと膠着しました。結局、アメリカの仲介で日本政府が譲歩して、この問題は決着した。